さて、前回の続きです。
「天下三分の計」というのは、土地もなく民もいない劉備に孔明が授けた、本当に天才戦略家、孔明だからこそ描けた策なのですが、その要となる益州攻略(蜀の建国)を軍師として行ったのが、鳳雛こと龐統でした。
国もなく、民もなく髀肉之嘆をかこっていた劉備は司馬徽こと水鏡先生に会います。そして、「伏龍と鳳雛このどちらかを得れば天下も握れる。」と いう話を聞きます。伏龍はまだ池の淵で眠り、天に昇ろうとしない龍のことで、諸葛亮をさします。そして、鳳雛というのは鳳凰の雛のことで、龐統のことを指 します。まだ世に見出されていない才能がいるよ。ということを劉備に伝えているのですが、先ほどのどちらかを得れば~というのは実は創作物である三国志演義の話で、正史では「伏龍と鳳雛を手に入れれば天下を握れる。」という表現がされています。そう、「両方ゲットしなきゃだめよ」といわれているのです。三国志演義で「片方でいいよ」という変更は、架空の女性、貂蝉を生みだしたのと同じぐらい、大きな創作だったと思います。
おそらく、諸葛亮を神格化するために、このような表現をしたと思うのですが、実際は司馬徽の人物評がきわめて正しかった。なぜなら、諸葛亮は政治家であり、龐統は軍略家であったから。戦略家と戦術家といってもいい。
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「天下三分の計」というのは、土地もなく民もいない劉備に孔明が授けた、本当に天才戦略家、孔明だからこそ描けた策なのですが、その要となる益州攻略(蜀の建国)を軍師として行ったのが、鳳雛こと龐統でした。
国もなく、民もなく髀肉之嘆をかこっていた劉備は司馬徽こと水鏡先生に会います。そして、「伏龍と鳳雛このどちらかを得れば天下も握れる。」と いう話を聞きます。伏龍はまだ池の淵で眠り、天に昇ろうとしない龍のことで、諸葛亮をさします。そして、鳳雛というのは鳳凰の雛のことで、龐統のことを指 します。まだ世に見出されていない才能がいるよ。ということを劉備に伝えているのですが、先ほどのどちらかを得れば~というのは実は創作物である三国志演義の話で、正史では「伏龍と鳳雛を手に入れれば天下を握れる。」という表現がされています。そう、「両方ゲットしなきゃだめよ」といわれているのです。三国志演義で「片方でいいよ」という変更は、架空の女性、貂蝉を生みだしたのと同じぐらい、大きな創作だったと思います。
おそらく、諸葛亮を神格化するために、このような表現をしたと思うのですが、実際は司馬徽の人物評がきわめて正しかった。なぜなら、諸葛亮は政治家であり、龐統は軍略家であったから。戦略家と戦術家といってもいい。
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