日本を案じるような論調がメディアを席巻しているけれど、本当に日本って暗いニュースばかりなんだろうか。
もし、あまり幸せを感じることが出来ていないとしたら二つぐらい理由があるんじゃないかと思う。


一つは、日本が十分豊かになってしまったこと。お金がまったくないときに宝くじで100万円を手に入れることが出来たら、びっくりするぐらい嬉しいだろう。一方で、10億円の資産を持ち、黙っていても毎年1億円ずつ増えていく富豪の人が100万円を手に入れても、嬉しさはお金がまったくない人よりも少ないことだろう。

幸せとは絶対的なものではなくて、自分がおかれている状況によって変化する、相対的なものなのだろうと思う。経済学的にいえば、限界効用逓減の法則というのかな。


もう一つは人は手段と目的を人は時に混同してしまうということ。例えば、金融の世界に身を置いたとする。金融の世界に身を置いたのは、高い収入を得たいからで、高い収入の先には幸せという本当のゴールがあると考えていたからそのキャリアを選んだのだろう。

しかし、そういう風にしてキャリア選択をした人の中には、いつの間にかお金を稼ぐことがゴールになってしまう人がいる。これは、手段と目的を混同してしまった例だ。

金融を引き合いに出したけれど、こういった混同はそこかしこで起きている。自分や家族を幸せにするために必死に働いたのに、いつの間にか働くことがゴールになってしまっている。何か成し遂げたいことがあって起業したのに、いつしか存続させることがゴールになってしまっている。

これも手段と目的を混同してしまった例といえるかもしれない。

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厳しい環境に直面している国や民族のことを考えたときに、真っ先に思い浮かぶのはユダヤ人のことだ。国を持たずさまよえる民族となったユダヤ人は生き残るために、その知性を磨いた。他人が嫌がる金融という仕事に積極的につき(というか、それぐらいしか許される仕事がなかったからだ。)その力を磨き続けた。

災害が起こった時に、ひとつだけ持ち出せるとしたら、持ち出すものは「教育」(ユダヤ人のことわざ)

という言葉を生み出すまでになった。

氏族で固まり、有望な若者には投資するコミュニティを作り、新たな産業を育成した。

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