人脈という言葉はあまり好きではありません。それは、軽々しく「人脈」という言葉を使うと、人によって持っている印象が異なるため、誤解を与えてしまうからです。

一方、人生において人脈がもたらす影響というのは非常に大きなものがあるので、一度自分の中で人脈というものに関して整理しておこうと思います。

人脈という言葉が誤解を招きやすいのは、人によって人脈という言葉が持つ「関係の深さ」「力量に対する認識」が様々だからだと思います。人によっては名刺交換をしただけで人脈と言いますし、そういった軽々しい人脈を否定・非難する人の中には、血縁や宗教といった非常に深い関係だけを人脈と呼ぶ人も存在します。

こういった様々な人脈をマトリクスで表すと次のようになるのではないかと思います。

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名刺交換というのは、名前を知っているだけの相手。すなわち、交流会などで名刺を交換しただけの関係です。相手の力量に関しては不明ですので、一歩進んだ関係になりたければ、小さなことでいいですからその人と何かコトを起こして見る必要があるでしょう。協働で何かに取組むことによって、信頼に値する相手かどうか把握することができます。

取引相手というのは、自分は相手の力量を把握しているけれど、関係は浅い。という相手です。セミナーの講師や人気作家やミュージシャンとの関係といえるかもしれません。また、営業担当者にとっては企業の購買担当者、意思決定者などがここにあたるでしょう。

保護者というのは関係は深いけれど、力量的にはまだまだと感じる相手との関係です。例えば、親や親類、部活や学校、同郷、宗教上の先輩が後輩を引き立てたいと考えたいと感じるときの関係性です。

最後の仲間、というのは相互にお互いに力量を把握し、関係も深いという、相互に信頼し、信用しあっている関係と言えます。極端な意見かもしれませんが、私は真の人脈と言えるのは、この仲間という関係性に慣れた人の事だけを指すのではないかと思うのです。

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「仲間」になるにはどうしたらいいか。
真の人脈を築くには、どうしたらいいか。
一見難しいようにも聞こえますが、実はこれは簡単なことだと思います。

自らの力量が足らなければ、己を磨くことに時間を使えばいいと思うのです。一方で、力量は十分だけれど、関係が浅いのであれば、単なる取引関係ではなくて、相互にリスクを伴ない、リターンを分かち合うような何らかのプロジェクトを実行すればいい。そういうことだと思います。

仲間というのは本当に貴重なものだと思います。メリット-デメリットという関係を超えて、相互に認め合った者どうしが至る関係ではないかと思います。

努力しても、思うような力量が身につかない人もいます。聖人、あるいは教育者と言われる人は、力量が不十分な人に対しても深く付き合うことができるのかもしれません。導くことができるのかもしれません。完成された人格者はその境地に至るのかもしれませんが、僕はまだその感覚がわかりません。今の僕がそれをやってしまうと、どっちつかずの中途半端に終わってしまうのではないかと危惧したりもします。

僕に出来ることは、一人でも多くの仲間を創り、一人でも多くの人の仲間となれるよう、自分を磨くこと。そして、何かを一緒に実行すること、人をインスパイアすることです。その先に何か見えるかもしれませんが、今のところはそれが僕の人脈論といえると思います。