10月24日。土曜日にもかかわらず、ジョブウェブ会議室にはfukuiの呼びかけに応じ、7名の戦士が集まった。そう、今日は己の頭脳と交渉力の限りを尽くす、ビジネスゲーム大会~Gachinko!~の日。その仁義なき戦いの一部始終を報告したい。
■本日のお題:ディプロマシー
交渉ゲームの金字塔といわれるディプロマシー。20世紀を代表するこの偉大なボードゲームの舞台は第一次世界大戦。権謀術数渦巻く欧州で、軍事力による覇権を握ることがこのゲームの目的だ。
つい先日のエントリで、「軍事力が外交上のパワーとなる時代も終わるんじゃないか」ばりの殊勝なことを述べたfukuiではあるが、なんといっても舞台は野蛮極まりない20世紀初頭。ビジョンといえば、大砲の数。経済といえば攻め取った植民地の数という時代だ。平和主義者の私は本来であれば、このような野蛮な時代のゲームなどやりたくもないのだが、
「それでも、勝たねばならない時もある!!」
このゲームの特徴はなんといっても、『最初の国決めの時以外、運の要素は一切無い』という、ハードボイルドなゲーム内容にある。テクノロジーとか、ユニット毎の強さの違いみたいなものもなく、戦いは純粋に
「外交と地政学上の優位性を活かして、戦力をどれほど集中できたか。」
にかかっている。
私が引いた国はドイツ。論理的かつ、勇壮な戦略を好むfukuiに最もふさわしい国家と言えよう。さて、ゲームを始めるまえに、Jobweb社の事業部長としていっておかねばならぬことがある。
■本日のお題:ディプロマシー
交渉ゲームの金字塔といわれるディプロマシー。20世紀を代表するこの偉大なボードゲームの舞台は第一次世界大戦。権謀術数渦巻く欧州で、軍事力による覇権を握ることがこのゲームの目的だ。
つい先日のエントリで、「軍事力が外交上のパワーとなる時代も終わるんじゃないか」ばりの殊勝なことを述べたfukuiではあるが、なんといっても舞台は野蛮極まりない20世紀初頭。ビジョンといえば、大砲の数。経済といえば攻め取った植民地の数という時代だ。平和主義者の私は本来であれば、このような野蛮な時代のゲームなどやりたくもないのだが、
「それでも、勝たねばならない時もある!!」
このゲームの特徴はなんといっても、『最初の国決めの時以外、運の要素は一切無い』という、ハードボイルドなゲーム内容にある。テクノロジーとか、ユニット毎の強さの違いみたいなものもなく、戦いは純粋に
「外交と地政学上の優位性を活かして、戦力をどれほど集中できたか。」
にかかっている。
美しいボードを前に心が昂る
私が引いた国はドイツ。論理的かつ、勇壮な戦略を好むfukuiに最もふさわしい国家と言えよう。さて、ゲームを始めるまえに、Jobweb社の事業部長としていっておかねばならぬことがある。
「仕事上での上下関係、人間関係はゲーム上での交渉材料に使わないよーに。」
まさにフェア極まりない宣言だったのだが、イタリーを担当するbazzioはこともなげに、
「いやー。既に辞めることが決まっているfukuiさんには遠慮いりませんからね!!!」
と言い放つ。それに同調するかのように不気味に笑うロシアン・ベアsuguru。イタリーとロシアでの密約を感じさせる。まさに悪魔のような男たち。ゲーム開始前にもかかわらず、我がドイツ帝国は2国からの宣戦布告を受けたのである。
(1)1901年・悪の枢軸が欧州に嵐を呼ぶ!
ディプロマシーで地政学上、一番の弱小国とならざるを得ないのが、オーストリア。オーストリアを担当したのはmei。かつて、ジョブウェブで行った合宿で、モノポリーで鬼のような強さを見せたために誘った逸材だが、イタリーbazzioの同期ということもあってか、容易くイタリーの口車にのり、我がドイツ帝国への進行の意志を見せる。ジョブウェブの良心といわれたfukuiは何故か、後輩3人(ロシア・オーストリア・イタリー)から同時に攻められることになるのである。
まぁ、イタリーとロシアは最後の一兵になるまで我が帝国を侵略することが予想されたので、fukuiは彼らとの交渉は断念し、イギリスと協力関係を結び、フランスには南に目を向けさせる。
※思えば、このタイミングでトルコを仲間に引き込み、黒海からロシアを牽制させるべきだった。近視眼的な戦略を立てていたことが後の苦戦を招いた。トルコ担当は私の前職の大先輩のKeikoさん。悪の枢軸(イタリー、ロシア、オーストリア)に正義の鉄鎚を下すのにこれほど理想のパートナーはいなかったのに!
我がドイツ帝国は、1901年・春の3方向からの攻めをなんとかしのぐ。特にチロルでのイタリア撃退は大きい。
そんな折、早くも悪の枢軸国に足並みの乱れが…
「あ、とっちゃった(てへ)」
悪魔の笑みとともに、イタリーがオーストリア本国に進行。貴重な補給基地を奪ってしまったのである。イタリーを信じ、ドイツ帝国に宣戦布告した、オーストリアは味方であるはずのイタリーに背後から急襲されたのである!
(2)1902年・春 ベルリン包囲網
年が明け、1902年。イタリーの裏切りを受けたオーストリアのみ補給地が3。他の列強は勢力を拡大し、4~5の補給地を保有するに至ったが、かのロシアだけは、オーストリアを抱き込み、トルコに土下座外交し、イタリーと結託して我が帝国領土を蹂躙する。その補給地の数は6。列強の中でも群を抜いた国力である。
我がドイツ帝国は、大英帝国と同盟を結び、バルチック沖に防衛ラインを築く。叩くのであれば、ロシア軍が戦力を集中させる前に行わなければいけないッッ!!
この時期、単独トップの地位を得ていたロシア軍は、ひとり己の策に酔っていた。おそらくイタリーと天下二分の策でも描いていたに違いない。既にオーストリアはないものとして扱われ、我が帝国は蹂躙の対象でしかなかった。(この時期オーストリアはトルコからの支援を受け、絶望的な抵抗を続けていた。ちなみに、墺国の宰相meiは、ゲームの後半にもう一度イタリーと組み、わが領土を蹂躙する…。騙されてもこりない女とは彼女のことか…。それとも…。我輩への3年間に及ぶ恨みが、裏切りの衝撃を上回ったのか…)
この時期、ロシアの脅威に対して強固な同盟関係にあった、我がドイツ帝国と大英帝国はノルウェー沖で、ロシア軍を撃退。大英帝国はその領土をスカンジナビア半島に伸ばす。しかし、喜ぶの束の間、我が栄光のドイツ帝国の首都は、ロシア陸軍と海軍に3方に囲まれ、風前のともしびとなる。 この時期、イタリーはフランスと膠着状態に陥り、連携作戦が取られなかったのがせめてもの救いか。
(3)1902年・秋 ベルリン燃ゆ / 露都急襲
我が帝国首都は、露軍の執拗な攻勢に耐えかね、ついに陥落。首都を一時的にキールへと移す。我が帝国の第二都市ミュンヘンには、仏軍を抱き込み、再度オーストリアを丸めこむことに成功したイタリーがチロルから迫る。
悪の枢軸国側はベルリン陥落に騒いでいるところ、女王の騎士(英軍)が、ノルウェーから、海路を通って、露軍の首都、サンクトペテルブルグを急襲!ベルリン攻めで、ガラ空きとなっていたロシアを南北に分断することに成功。この奇手には一同喝采を送る。首都を失い、南北に戦力を分断されたロシアはこれで完全に勝利の目を失い、脱落。
(4)1903年 ベルリン奪還・ミュンヘン陥落
1903年、我が帝国軍はベルリンに駐留する露軍に対して3方より集中砲火を浴びせ、首都を奪還する。しかし、山越えして進軍してきた伊墺連合軍(クソッ!史実だと弱小極まりないのにッ!)にミュンヘンを奪われる。我が帝国はベルリン/キール/デンマーク/オランダを抑えているものの、我が盾の後ろでぬくぬくと戦力を伸ばしてきた大英帝国が、不気味な存在となる。その国力は我が帝国の1.5倍に達し、これ以上の拡大を目指すのであれば、我が帝国領土を侵略するしかない。という状況に来ていた。弱小の伊墺連合軍はおそるるに足らずだが、女王の軍隊が裏切るとなると、我が帝国の命運も…。二枚舌のイタリーの外相と同盟国が密談を重ねているのが怖い…。(繰り返し述べるが、オーストリアとロシアはすでに戦いから脱落。フランスはイタリーへの不信から我が帝国と近づきつつあり、トルコはなぜか平和主義路線。もっともトルコはこの時点でNo1の国力を持っていたので、特に争う必要もなかったのだが。)
(5)1904年 大英帝国の裏切り。ベルリンは二度燃える。
と、いうわけで最終ターンとなった1904年。弱小伊墺同盟はミュンヘンの維持が困難と見て、女王の犬(イギリス)を抱き込み、照準をベルリンに定める。新たなる悪の枢軸によるベルリン包囲戦だ。わが帝国陸軍はベルリンの維持は困難と判断。包囲の穴をつき、ミュンヘンを急襲、伊軍からこれを奪還する。また、起死回生の逆転を狙い、オランダに駐留する陸軍はベルギーに進行。しかしベルギー方面軍は、フランス陸軍によってあえなく撃退される。また、デンマークに孤立していたわが海軍は女王の犬(イギリス)の包囲砲撃を受け、あえなく玉砕。
我がドイツ帝国は最終的にその領地を3に減らす。その裏で、戦線を離脱したロシアはもてる戦力のすべてをトルコに集中し、補給地をひとつ奪い取ることに成功。ここに第一次世界大戦は終結するのである…
(6)最終成績
一位 女王の犬(イギリス) sho氏 補給地数7
二位 平和主義者(トルコ) Keiko氏 補給地数6
…最終ターンで女王の犬に逆転されたのが惜しい。信義の人であった。
二位 ひらりマント(フランス) kami氏 補給地数6
四位 悪の枢軸(イタリー) bazzio氏 補給地数5
五位 北の熊(ロシア) suguru氏 補給地数4
…最下位からの逆転劇
六位 弱小オーストリア mei氏 補給地数3
六位 我が栄光のドイツ帝国 fukui 補給地数3
感想
なんか結果だけ見ると、イタリーにからまれた国は軒並み不幸な事態に陥っている。裏切りあうよりも、助け合って(最後に裏切る)という戦略が正しいということが証明されたゲームでした。
あと、職場の人間関係、大切にしたほうがいいです。
ちょっとそこの部長さん!あなたもきっと部下に恨まれてますよ!!!
# この後、カタンを行ったのですが、途中まで圧倒的にリードしていた私は、またしても bazzio/sho/kamiの協調による妨害を受け、タッチの差でshoに1位の座を譲ってしまったのでした(ポイントでみれば、カタンでもfukuiはケツでした…。)最後は残り1ターンで誰もが優勝するような状態になっていたのですが、bazzioがやらなくてよい取引をshoとしたために、shoがディプロマシーに続き一位の座を手に入れました。shoは名実ともにゲーム王です…。
ディプロマシー
販売元:ウィザーズ・オブ・ザ・コースト
おすすめ度:
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カタンの開拓者たち / The Settlers of CATAN
販売元:Mayfair Games
おすすめ度:
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まさにフェア極まりない宣言だったのだが、イタリーを担当するbazzioはこともなげに、
「いやー。既に辞めることが決まっているfukuiさんには遠慮いりませんからね!!!」
と言い放つ。それに同調するかのように不気味に笑うロシアン・ベアsuguru。イタリーとロシアでの密約を感じさせる。まさに悪魔のような男たち。ゲーム開始前にもかかわらず、我がドイツ帝国は2国からの宣戦布告を受けたのである。
(1)1901年・悪の枢軸が欧州に嵐を呼ぶ!
ディプロマシーで地政学上、一番の弱小国とならざるを得ないのが、オーストリア。オーストリアを担当したのはmei。かつて、ジョブウェブで行った合宿で、モノポリーで鬼のような強さを見せたために誘った逸材だが、イタリーbazzioの同期ということもあってか、容易くイタリーの口車にのり、我がドイツ帝国への進行の意志を見せる。ジョブウェブの良心といわれたfukuiは何故か、後輩3人(ロシア・オーストリア・イタリー)から同時に攻められることになるのである。
まぁ、イタリーとロシアは最後の一兵になるまで我が帝国を侵略することが予想されたので、fukuiは彼らとの交渉は断念し、イギリスと協力関係を結び、フランスには南に目を向けさせる。
※思えば、このタイミングでトルコを仲間に引き込み、黒海からロシアを牽制させるべきだった。近視眼的な戦略を立てていたことが後の苦戦を招いた。トルコ担当は私の前職の大先輩のKeikoさん。悪の枢軸(イタリー、ロシア、オーストリア)に正義の鉄鎚を下すのにこれほど理想のパートナーはいなかったのに!
我がドイツ帝国は、1901年・春の3方向からの攻めをなんとかしのぐ。特にチロルでのイタリア撃退は大きい。
そんな折、早くも悪の枢軸国に足並みの乱れが…
「あ、とっちゃった(てへ)」
悪魔の笑みとともに、イタリーがオーストリア本国に進行。貴重な補給基地を奪ってしまったのである。イタリーを信じ、ドイツ帝国に宣戦布告した、オーストリアは味方であるはずのイタリーに背後から急襲されたのである!
もはや誰も信じられない、といった様子でうなだれるmei。彼女はイタリーの裏切りの傷を最後まで挽回することができなかった…。
(2)1902年・春 ベルリン包囲網
年が明け、1902年。イタリーの裏切りを受けたオーストリアのみ補給地が3。他の列強は勢力を拡大し、4~5の補給地を保有するに至ったが、かのロシアだけは、オーストリアを抱き込み、トルコに土下座外交し、イタリーと結託して我が帝国領土を蹂躙する。その補給地の数は6。列強の中でも群を抜いた国力である。
我がドイツ帝国は、大英帝国と同盟を結び、バルチック沖に防衛ラインを築く。叩くのであれば、ロシア軍が戦力を集中させる前に行わなければいけないッッ!!
この時期、単独トップの地位を得ていたロシア軍は、ひとり己の策に酔っていた。おそらくイタリーと天下二分の策でも描いていたに違いない。既にオーストリアはないものとして扱われ、我が帝国は蹂躙の対象でしかなかった。(この時期オーストリアはトルコからの支援を受け、絶望的な抵抗を続けていた。ちなみに、墺国の宰相meiは、ゲームの後半にもう一度イタリーと組み、わが領土を蹂躙する…。騙されてもこりない女とは彼女のことか…。それとも…。我輩への3年間に及ぶ恨みが、裏切りの衝撃を上回ったのか…)
この時期、ロシアの脅威に対して強固な同盟関係にあった、我がドイツ帝国と大英帝国はノルウェー沖で、ロシア軍を撃退。大英帝国はその領土をスカンジナビア半島に伸ばす。しかし、喜ぶの束の間、我が栄光のドイツ帝国の首都は、ロシア陸軍と海軍に3方に囲まれ、風前のともしびとなる。 この時期、イタリーはフランスと膠着状態に陥り、連携作戦が取られなかったのがせめてもの救いか。
(3)1902年・秋 ベルリン燃ゆ / 露都急襲
我が帝国首都は、露軍の執拗な攻勢に耐えかね、ついに陥落。首都を一時的にキールへと移す。我が帝国の第二都市ミュンヘンには、仏軍を抱き込み、再度オーストリアを丸めこむことに成功したイタリーがチロルから迫る。
悪の枢軸国側はベルリン陥落に騒いでいるところ、女王の騎士(英軍)が、ノルウェーから、海路を通って、露軍の首都、サンクトペテルブルグを急襲!ベルリン攻めで、ガラ空きとなっていたロシアを南北に分断することに成功。この奇手には一同喝采を送る。首都を失い、南北に戦力を分断されたロシアはこれで完全に勝利の目を失い、脱落。
女王様の海軍がロシアの首都を海から急襲!この奇手には一同喝采。
(4)1903年 ベルリン奪還・ミュンヘン陥落
1903年、我が帝国軍はベルリンに駐留する露軍に対して3方より集中砲火を浴びせ、首都を奪還する。しかし、山越えして進軍してきた伊墺連合軍(クソッ!史実だと弱小極まりないのにッ!)にミュンヘンを奪われる。我が帝国はベルリン/キール/デンマーク/オランダを抑えているものの、我が盾の後ろでぬくぬくと戦力を伸ばしてきた大英帝国が、不気味な存在となる。その国力は我が帝国の1.5倍に達し、これ以上の拡大を目指すのであれば、我が帝国領土を侵略するしかない。という状況に来ていた。弱小の伊墺連合軍はおそるるに足らずだが、女王の軍隊が裏切るとなると、我が帝国の命運も…。二枚舌のイタリーの外相と同盟国が密談を重ねているのが怖い…。(繰り返し述べるが、オーストリアとロシアはすでに戦いから脱落。フランスはイタリーへの不信から我が帝国と近づきつつあり、トルコはなぜか平和主義路線。もっともトルコはこの時点でNo1の国力を持っていたので、特に争う必要もなかったのだが。)
(5)1904年 大英帝国の裏切り。ベルリンは二度燃える。
と、いうわけで最終ターンとなった1904年。弱小伊墺同盟はミュンヘンの維持が困難と見て、女王の犬(イギリス)を抱き込み、照準をベルリンに定める。新たなる悪の枢軸によるベルリン包囲戦だ。わが帝国陸軍はベルリンの維持は困難と判断。包囲の穴をつき、ミュンヘンを急襲、伊軍からこれを奪還する。また、起死回生の逆転を狙い、オランダに駐留する陸軍はベルギーに進行。しかしベルギー方面軍は、フランス陸軍によってあえなく撃退される。また、デンマークに孤立していたわが海軍は女王の犬(イギリス)の包囲砲撃を受け、あえなく玉砕。
我がドイツ帝国は最終的にその領地を3に減らす。その裏で、戦線を離脱したロシアはもてる戦力のすべてをトルコに集中し、補給地をひとつ奪い取ることに成功。ここに第一次世界大戦は終結するのである…
(6)最終成績
一位 女王の犬(イギリス) sho氏 補給地数7
二位 平和主義者(トルコ) Keiko氏 補給地数6
…最終ターンで女王の犬に逆転されたのが惜しい。信義の人であった。
二位 ひらりマント(フランス) kami氏 補給地数6
四位 悪の枢軸(イタリー) bazzio氏 補給地数5
五位 北の熊(ロシア) suguru氏 補給地数4
…最下位からの逆転劇
六位 弱小オーストリア mei氏 補給地数3
六位 我が栄光のドイツ帝国 fukui 補給地数3
感想
なんか結果だけ見ると、イタリーにからまれた国は軒並み不幸な事態に陥っている。裏切りあうよりも、助け合って(最後に裏切る)という戦略が正しいということが証明されたゲームでした。
あと、職場の人間関係、大切にしたほうがいいです。
ちょっとそこの部長さん!あなたもきっと部下に恨まれてますよ!!!
# この後、カタンを行ったのですが、途中まで圧倒的にリードしていた私は、またしても bazzio/sho/kamiの協調による妨害を受け、タッチの差でshoに1位の座を譲ってしまったのでした(ポイントでみれば、カタンでもfukuiはケツでした…。)最後は残り1ターンで誰もが優勝するような状態になっていたのですが、bazzioがやらなくてよい取引をshoとしたために、shoがディプロマシーに続き一位の座を手に入れました。shoは名実ともにゲーム王です…。
カタン - fukuiはこのゲームでもビリでした…。
ディプロマシー
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Comment
日本の研究者または日本人研究者による著作物を探しているのですが、なかなか見つかりません。どなたかご存知でしょうか。
日本語のサイトで検索すると、ディプロマシーはパブリック・ディプロマシーしかヒットしないのですが。
お知恵を拝借できれば幸いです。
恥ずかしながら、ビジネス・ディプロマシーという言葉を初めて伺いました。「ビジネス」「ディプロマシー」で日本語検索すると、僕の記事ばかり出てくるんですね…。研究者の人にとってはご迷惑をかけてしまっているかも。
少しお伺いしたいのですが、ビジネス・ディプロマシーとはビジネスに国家間の国際関係や公共政策的な視点を入れたようなものなのでしょうか?ビジネスが主になるのでしょうか。ビジネスを武器にした政治が中心になるのでしょうか。詳細伺えれば、内容をもとに知人等に少し聞いてみます。経済学や公共政策に関する個別論文になってしまうような気もしますが。
あまりお役に立てないようなレスですいませんが、もしよろしければ返信願います。
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