前回のエントリで、八田先生のミクロ経済学を読んで学んだことを定期的にアップしていきます。と書いたので、まず第一弾。次回のアップはおそらく一週間後になります。序章だけで結構な量になったけど、大丈夫かな。


八田先生のミクロ経済学では、冒頭に次の言葉が紹介される。
貧困を嫌悪している政治的に極左の人々は、貧困を固定化する政策を支持している。市場を尊重する自由放任主義の熱狂的な支持者たちは、市場の崩壊を引き起こすシステムを提唱している。
これは、ジョン・マクミランの言葉だが、現在の政治の問題点を鋭い言葉で突いた言葉だ。この言葉に八田先生の問題意識は集約されているように感じる。

僕たち国民一人一人に求められているのは、各党が打ち出す政策が、貧困を固定化したり、市場の崩壊を引き起こすようなものではないか、理性的に考え判断する力なのだろう。


■政府の役割
市場では、他人が最も必要としている財やサービスを、より安く供給する個人や企業が成功します。このことを通じて、市場は国民の生活水準を改善します。(アダム・スミス 「国富論」 1776年)
市場の役割は上記のように紹介されているが、市場は万能ではない。とも述べられている。万能ではない市場を補完するために、政府の役割がある。

政府の役割は、再分配、「市場の失敗」の是正、「政府の失敗」の是正の3つ。

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1.再分配

競争の舞台から転げ落ちた者とその子どもたちに対するセーフティネットを政府が整備すること。たまたま訪れた運や、持ち合わせた才能によって高額な所得や資産を得た人から、運や才能に恵まれなかったために、所得や資産が少ない人へと再分配を行うこと。らしい。
2.「市場の失敗」の是正

市場を自由放任に任せておくと、市場は成立しなかったり歪んだりすることがある。それは政府によって是正される必要がある。市場の失敗の原因は下記4点。

規模の経済
電力会社など、大きな初期投資がかかるが、規模が大きくなればなるほど、提供コストが安くなり、他企業にとって参入障壁となるようなサービス。参入する企業が増えないので、自然に独占状態になる。こうなると企業は価格をつり上げることが可能になる。

外部経済・不経済
ある個人や企業の行動が価格メカニズムを通さずに個人の生活水準や他企業の生産量に影響を与えること。公害がその典型。

公共財の提供
橋や灯台、道路など、無料で出来る限り多くの人にサービスを利用してもらったほうが良い財は政府が作ったほうが効率が良くなる。

情報の非対称性
売り手は売っている商品の性質が良くわかっているのに、買い手は良く分からない場合。医薬品などがその典型(だから、政府の検査・補償を入れる。)

3.「政府の失敗」の是正

市場の失敗がないにも関わらず、政府が市場に干渉しているために、歪みが発生している状態を「政府の失敗」と呼ぶ。政府の失敗の典型例は、様々な分野で設けられている参入規制

ある業種への新規参入者を制限すると、既存の業者は価格を高く維持できる。したがってありとあらゆる業界は、自分の産業への新規参入者を制限しようとする。(例.薬局業界がコンビニエンスストアにかぜ薬や胃腸薬を売らせない法律を作ったこと。また、弁護士の数を極端に少なくしていることなど。参入規制は枚挙にいとまがない。)


(fukui's メモ)現在の民主党政府は再分配の意識が高い気がするけど、再分配にはどうしても原資が必要なので、市場の失敗や政府の失敗を是正して、原資を手に入れてから再分配するのが適切な気がするけれど、違うだろうか。これは、マクロ経済学や金融政策をしっかり学んでからのほうが、より適切な結論が出せそうだ。


■効率的な状況(≒別名、パレート効率が達成された状況)

なんかややこしい。経済学でいう効率的な状況というのは、誰かをハッピーにするために、他の誰かを犠牲にしなければならない状況を指すようだ。(そうじゃない場合は非効率なので、財やサービスを購入するなり、交換するなりしてハッピーになりなさい。ということか。)

市場の失敗がなく、政府が口出ししなければ、市場はパレート効率を達成する。とのこと。

(fukui's メモ)実際は、市場は失敗するし、政府は市場の失敗を是正するどころか、拡大するような政策(新たな規制とか、偏った再分配とか)をよくするので、パレート効率が達成されることなんてないと思う。だから、市場の失敗と政府の失敗をひとつひとつ是正していくしかない。何が良くて何が悪いのか判断するために、経済学が活用できそうだ。

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(fukui's メモ)現在のように、国民全体の生活水準が引き下がっているような状況は、経済面で政府が役割を果たしていない状態とも言える。この役割を果たしていない状態をつくり、容認しているのは他ならぬ僕たち国民。政府が経済面で果たさなければいけない役割は僅か3つ。ということを念頭におけば、政策評価も行いやすくなるのではないだろうか。


■政策原則

誰も傷つけないよ。皆ハッピーにしようぜ!って政策だけを実行する政治方針は既得権保護原則。実際にはこういう政策はありえないので、実行されず現状維持となる。

全体のハッピーのパイを大きくする、という政策を実行する政治方針が、効率化原則。全体のハッピーを大きくすることを狙うので、一部の人たちは今の立場より不幸になる。既得権を持っている人たちなどが、このような人だ。下がった人に対しては、ハッピーになった人から相応の補償を与えることでこれを補完する。

(fukui's メモ)補償をもらっているという意味ではダムの設置や基地の移転もこれにあたるかな。住人は既にかなりの額の補償をもらっていると思うけど、ダムの設置や基地の移転によって得られるハッピーがどれだけ上がるか考えて、必要なければとりやめるんだろうね。

実際には補償が行われない政策も多々ある。この場合はある意味市場の歪みによって、得て来た利益を実質的な補償と考えてもいいのかもしれない。

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■fukui's メモ ~感じたことを徒然なるままに~

1)かつての構造改革とメディアのありかた

とにかく印象に残ったのは、事例として挙げられていた効率化原則に基づく経済政策の話。
日本が高度経済成長を実現した一つの要因として、石炭から石油へのエネルギー転換があるのだけど、当時石炭産業は、日本のトップエリートが集う産業で、かつ炭鉱で働く人も多く、

「石炭やめます。明日のエネルギーは石油です。」

というのは、皆、頭でわかっていても、相当抵抗があっただろうな。と思う。僕自身、就職活動の時にエリートの職場だった炭鉱に就職した人のその後を聞いて、時代に左右されない力が身につく職場に就職しようと考えたことを思い出した。

また、エネルギー転換を行ったときに、炭鉱関係者には莫大な補償がされたらしく、それを聞いて、補償というものは悪いことばかりではなく、必要なこともある。と感じた。もちろん、額や政策に関しては適切な判断が必要だろうけど、現状維持で何も進まないよりははるかにいい。

マスメディアは政策実行の際に支払われる(あるいは既に支払われた)補償に関しては繰り返し報道するようなことはせず、人情に訴えることが多いように思うけれど、これからはそういう報道のありかたではだめなんだと感じた。


2)経済学と倫理

これは後の章で出てくるのかもしれないけれど、例えば人の命の問題とか、お金に換算しにくい問題はどう扱うのだろう。と感じた。効率化原則を突き詰めて行くと、極端な話、100人を幸せにするためには1人を犠牲にして多額の補償を与えれば良い。みたいな考えにもなりうるだろう、と。

この危険性に敏感な人は、経済学的な考えに嫌悪感を示して、盲目的に非難することもあるんじゃないだろうか。これは相互にお互いの考えを理解する努力をすべきだろう。上記のような極論じゃなくてもちょっとした衝突はそこかしこで起こっていて、非効率だなぁ。とも感じる。ぶつかり合っているだけだと何も進まない、かな。

ただ、経済学の考えは学ばないと身につかないのに対して、本能的な危機感や不満は何も学ばなくても主張することができる。この違いは結構大きいかもしれない。

あと、経済学を学ぶ際には、同時に倫理的な考えも抑えておく必要があると思った。それと、倫理と既得権の区別をしっかり見抜く眼力も個々人がつけなくちゃいけない。

この点に関しては、後の章で凄くわかりやすい説明がされるような気もするけれど。


序章だけなのにまとめてみると結構なボリュームになった。もっと簡潔にまとめたい。
僕の解釈は不完全なところがあるので、興味のある人は是非原書にあたってください。
たぶん、手元に一冊あっても損はしないと思います。

それでは、また。



#2月21日追記

@yumegekijooさんから、パレート効率のわかりやすい説明をご指摘頂きましたので、記載します。確かに下記のように覚えたほうが理解しやすいですね!ありがとうございました。





ミクロ経済学〈1〉市場の失敗と政府の失敗への対策 (プログレッシブ経済学シリーズ)ミクロ経済学〈1〉市場の失敗と政府の失敗への対策 (プログレッシブ経済学シリーズ)
著者:八田 達夫
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