さて、昨日のエントリではライブドアが仕掛けるブログメディアの、その優れた戦略眼に関して解説した。今日はその続きとして、ライブドアの方針に不安や問題は無いのか。を考えてみたい。
一番気になるのは、tabbata氏自身が述べておられる「良質の記事」の定義だろう。
一番気になるのは、tabbata氏自身が述べておられる「良質の記事」の定義だろう。
ツッコミどころもあるが、極めて斬新な「問題提起」型の記事のほうが、退屈で無難な「模範解答」型の記事よりも、遥かに「良質」だと言えるこの定義をそのまま利用すると、編集者が上手にコントロールしないと、いくつかの問題が発生すると思われる。第一の問題点は読者の質が下がる可能性がある。ということだ。全てがそうというわけではないが、「問題提起型」の記事は、下記のような特徴を持つことも多い。
- 客観的なデータを示していない。あるいは意図的な解釈をしている
- 論理ではなく、感情での議論に終始している
- 客観的視点ではなく、ポジショントークになっている
- 偏見に満ち、倫理観に欠ける
これは、ゴシップ誌型のメディア展開といってもいい。(もちろん、ゴシップ誌に限らず、新聞もテレビも経済誌も多かれ少なかれ、上記の要素を持つ偏向報道は行っている)確かにインターネットには、議論出来る風土がある。だから、ゴシップ的な記事が出たとしても、読者の質が十分高ければ、それはコメントや対抗エントリを通じて自然に修正される。多くの人にデータと記事の読み方が知られる分、プラスの効果も生じるだろう。
ここで言う、読者の質とは偏向報道に惑わされない思考をする読者のことだ。データをもとに、論理的に議論することが出来、ポジショントークとなっていないか常に注意を払い、偏見を持たず、倫理観に富んだ読者のことを指す。もちろん、これらの要素を全て備えた読者は少数だと思う。しかし、多くの人はこれらの要素のいくつかを持ち、かつ高める努力をしているケースが多い。
ゴシップ誌型のメディア展開を続けると、記事の品質に嫌気を感じた読者から離れていく。これが読者の質低下だ。
もうひとつの問題は、書き手の質の低下だ。偏向報道が激しいと、そういった媒体への出稿を嫌がるブロガーが出てくる。評価の低い媒体への出演や寄稿は、出演者や書き手のブランド価値を落とすことがあるからだ。
読者、及び書き手の質低下が最後にもたらすものは、実世界への影響力の低下だ。これは、匿名掲示板が(優れた議論、コンテンツを生み出しているにも関わらず)実社会への影響力を未だ限定的にしか持っていないいことに似ている。玉石混淆のメディア、議論に値しないメディアというシグナリングを発してしまうと、それを取り戻すのは容易ではない。匿名掲示板に限らず、ネットメディアそのものが、馴染みの無い人にとって、否定的な目で捉えられることがあるのは、我々自身にも責任の一端があると言える。
さて、ここまで書いてきたが、tabbata氏は、「良質の記事」の定義をする際に、「ツッコミどころもあるが」と断りを入れている。ここで示したような3つの危険性に関しては十分すぎるほど計算し、編集方針及びライターの選定方針を慎重に決めておられることは間違いない。
BLOGOS やTechWaveといったメディアも、まだ既存のマスメディアに比べると強いとは言えない。ある程度の力を持つまでは、意図的に「斬新な問題提起型の記 事」を提供しアクセスを集め、読者が増え媒体がメジャーになった後は記事の品質向上に力をいれるという戦略を描いているのかもしれない。
ブログメディアは紙面が限定されている紙媒体とは異なり、異なった立場の意見をきちんと並べることができる。また、インターネット上にコンテンツがあるので、議論も生まれやすい。媒体そのものがポジショントークの塊となることを避け、様々な視点から、ニュースや意見を伝えていくことで、既存の媒体と異なる形で高い品質を実現することは可能だろう。
既存メディアがインターネット対応を終えるのが先か、ライブドアがプロデュースする新時代のメディアが既存メディア以上の市民権を得るのが先か。
これからメディアの覇権争いはますます面白くなる。
ここで言う、読者の質とは偏向報道に惑わされない思考をする読者のことだ。データをもとに、論理的に議論することが出来、ポジショントークとなっていないか常に注意を払い、偏見を持たず、倫理観に富んだ読者のことを指す。もちろん、これらの要素を全て備えた読者は少数だと思う。しかし、多くの人はこれらの要素のいくつかを持ち、かつ高める努力をしているケースが多い。
ゴシップ誌型のメディア展開を続けると、記事の品質に嫌気を感じた読者から離れていく。これが読者の質低下だ。
もうひとつの問題は、書き手の質の低下だ。偏向報道が激しいと、そういった媒体への出稿を嫌がるブロガーが出てくる。評価の低い媒体への出演や寄稿は、出演者や書き手のブランド価値を落とすことがあるからだ。
読者、及び書き手の質低下が最後にもたらすものは、実世界への影響力の低下だ。これは、匿名掲示板が(優れた議論、コンテンツを生み出しているにも関わらず)実社会への影響力を未だ限定的にしか持っていないいことに似ている。玉石混淆のメディア、議論に値しないメディアというシグナリングを発してしまうと、それを取り戻すのは容易ではない。匿名掲示板に限らず、ネットメディアそのものが、馴染みの無い人にとって、否定的な目で捉えられることがあるのは、我々自身にも責任の一端があると言える。
さて、ここまで書いてきたが、tabbata氏は、「良質の記事」の定義をする際に、「ツッコミどころもあるが」と断りを入れている。ここで示したような3つの危険性に関しては十分すぎるほど計算し、編集方針及びライターの選定方針を慎重に決めておられることは間違いない。
BLOGOS やTechWaveといったメディアも、まだ既存のマスメディアに比べると強いとは言えない。ある程度の力を持つまでは、意図的に「斬新な問題提起型の記 事」を提供しアクセスを集め、読者が増え媒体がメジャーになった後は記事の品質向上に力をいれるという戦略を描いているのかもしれない。
ブログメディアは紙面が限定されている紙媒体とは異なり、異なった立場の意見をきちんと並べることができる。また、インターネット上にコンテンツがあるので、議論も生まれやすい。媒体そのものがポジショントークの塊となることを避け、様々な視点から、ニュースや意見を伝えていくことで、既存の媒体と異なる形で高い品質を実現することは可能だろう。
既存メディアがインターネット対応を終えるのが先か、ライブドアがプロデュースする新時代のメディアが既存メディア以上の市民権を得るのが先か。
これからメディアの覇権争いはますます面白くなる。














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