彼はコンサルティングファームでマネジャーを務めたあと、世界一蹴の旅に出ている。南アフリカW杯に参加する32カ国を巡るということをしているのだが、そのアホらしさが受けたのか、あのnakata.netで連載を始めることになったらしい(かなりうらやましい)。よくわからんが、思いついたことを実際に実行するそのアクティブさと無邪気さが学生時代から変わらないところは心から尊敬する。

実際のところ、働きながら猛烈に勉強したとしても、3年ぐらいたつと、成長スピードが落ちてくる。だから力ある人は3年ぐらい経つと、ポジションが上がったり、転職したりする。そうやって意図的に環境を変えることができれば、新たに力をつける。もちろん、MBA留学などで専門知識をつけるのに適した時期もこの時期だろう。

次に人生を考えるタイミングは5~7年目だ。ポジションや環境の変化で刺激を得た。学ぶ内容も、個人のスキルアップから、集団のマネジメントへと興味・関心分野が変わってくる。十分準備をして起業。という道を歩むのもこの時期だろう。人生のパートナーをみつけるのもこの時期かもしれない。知らぬ間に年齢は30になっている。環境をうまく変えることができれば新たな成長を実現することができるが、惰性で生活していたら、ここでも成長はストップする。

そうやって、環境を変え、学び、働き続けて10年がたつとする。力のある人であればあるほど、忙しくなる。動けば動くほど、成果が現れ、自分の時間は失われる。家庭をもつ人であれば、良き家庭人であることも求められるだろう。以前は輝くばかりだったアウトプットの質と量が、徐々に陰ってくる。アウトプットの量に対してインプットの量が少なくなる。そこに少し焦りと違和感を感じ始める。人によっては人生のゴールを意識し始める。

まぁ、そんな感じで僕自身も人生を送ってきたわけだけれど、今、取り組みたいのは(そして、取り組んでいることは)、ゆっくり時間をかけてインプットし、適度にアウトプットし、自分自身の人生を練り上げるという作業だ。多分、その作業をしないと、次の一歩はあまり良い形で踏み出せない気がする。

過去の偉人達の業績を見ると、仕事を離れ、田舎で晴耕雨読に励んでいた時期が確かにあったようだ。

東郷平八郎白洲次郎石田禮助…。もちろん他にもいるだろうけど、彼らがその晴耕雨読の人生の中で何を見たのか、体験したいという思いはある。なんとなく、創造の喜びを感じたり、人生の意味を見出したり、自分の価値観を確立したりするのに時間を費やしたのかな。という思いはある。だけど、実際のところ体験したわけではないから、なんにも言えない。

と、いうわけで決めたことがふたつ。
  • 今年は、晴耕雨読の生活を送る(著述家としての自信も確立する)
  • 来年は、目的を持って世界を巡る
まぁ、それなりに予算も必要になるけれど、10年間の間、いってみれば(酒代以外は)ほとんど学生時代と変わらない支出で身軽な生活を続けてきたことを感謝したい。

時間とともに、人は目に見えない重石みたいなものをどんどん人生に積み上げていく。それを背負って生きる人生も素晴らしいけれど、しっかりと背負うためにも、いったんリセットしてゼロベースで考えたり学んだりする時間があってもいいんだろう。きっと。