2ヶ月ほど前の記事のようだが、Twitter経由で今頃知ったのが次の記事です。

やがてくる大増税時代に豊かに生活するために準備すべきこと

極論もありますが、なるほどと思ったところもありますので、気になったところを書きだします。
以前のエントリ(学生時代に学ぶべき学問:衰退の10年を生きる)で、学生時代に学ぶべき学問を 哲学/経済/会計・ファイナンス/語学 としましたが、それと非常にかかわり深いエントリです。

冒頭で紹介した記事によると、新たな時代を生き抜くために意識しておくことは次の通り
  1. 貨幣システムが存在しない生産と消費を心がける(自給自足と物々交換)
  2. 個人で法人を設立し、法人の会計と個人の会計を連結させる
  3. 時間リッチな人と時間プアな人ではお金の価値がまるで違う
  4. 優秀な若者が海外に流出したらすぐに経済がダメになるというのは一部の金持ちのポジショントーク
ちょっと個別に見ていきますね。


ますは、貨幣システムが存在しない生産と消費を心がける。

本来、お金っていうのは、モノの価値を一般化して流通をよくし、分業を促進するための人類の画期的な発明だったと思うのですが、税金が高くなると、モノを作って売るたびに政府に搾取されるので、貨幣でやりとりせず、物々交換するのが良い。ということですね。また、自分で作れるものは自分で作れ。と。


普通に考えると、この考えには相当無理があることがすぐにわかります。僕は家で農業を少々営んでおりますが、とてもじゃないですが、採算はとれません。膨大な労力を費やして、少数の作物だけ食べきれないほど取れる。みたいなそんな感じです。でも、家庭菜園程度であれば、労力もかからず、ちょっとした楽しみが得られるのでいいかもしれないですね。また、このブログでは、自炊しろ。といってます。それぐらいだったら出来そうですよね。だから最近弁当男子とか、水筒なんとかが流行っているのだと思います。僕も外食はほとんどしません。家で食べた方が美味しいです。

物々交換もちょっと厳しいですね。田舎に住んでいると人が暖かいので、自分のところでとれた作物をいろいろ持ってきてくれます。お礼にこちらからも、頂いた果物などを差し上げたりします。しかしやっぱり、作物にしても果物にしても、魚にしても安定的に供給されないので、なかなか厳しいかなとは思います。 ただ、例えば、ウェブのデザインしてもらうかわりに、野菜を持っていく。とかそういうレベルの物々交換だったら出来そうです。

突き詰めていうと、ここで提言されていることって、可能な限りお金は使うな。自分で出来るコトは自分でしろ。ってことだと思うんですね。これならわかります。労働時間を増やしても、収入が増える見込みがない世界であれば、その分の時間をお金を使わない努力にあてたほうが得だったりしますから。


つぎに、個人で法人を設立し、法人の会計と個人の会計を連結させる。ですね。
これはまぁ、フリーで働いている人の多くは既にやっていることなんじゃないかと思います。
  • マイクロ法人と個人(家計)で税務上の所得がないようにする。
  • マイクロ法人もしくは個人(家計)で財務上の利益が計上出来るようにする。
という方法で、橘玲さんが、貧乏はお金持ち──「雇われない生き方」で格差社会を逆転するで提案されたやり方ですね。冒頭で紹介したブログでは、
さらに、実質的には年500万円の所得があっても、300万円を経費として落とし、税務署からは年200万円の所得にしか見えないようにすることは、それほど難しくない。(中略)基本は、自分で法人を設立し、仕事場と自宅を一体化してしまうことだ。本棚、パソコン、プリンタ、ドキュメントスキャナ、デジカメ、電話、FAX、データ通信カード、携帯電話、ソファー、家賃の一部、光熱費通信費の一部など、実にたくさんの支出項目が、生活と仕事の両用にできる。それらにかなり贅沢なものを買ったとしても、それらには所得税も消費税もかからない。(払った消費税は還付される)
と、書かれています。正社員という立場を得ている人にはお勧めしませんが、もし、その正社員としての仕事がハードな割に報われず、自分に一人でやっていけるだけの自信があるのであれば、試してみるのもいいかな。と思います。

やっぱり、現状の日本では、正社員という立場はすごく素敵だと思うんですよね。極端な話をするとリスクは経営者がかぶってくれる。将来はどうなるかわからないけれど、様々な法律に守られ、安定した収入を得ることができる。これは素晴らしいことだと思います。(独立して個人でやっている人は、あまり社畜といった言葉は使わないんじゃないかな。それは、リスクを負うことの大変さを知っているからだと思う。)

ただ、正社員でいることのリスクは二つあるので、それは心にとどめておいたほうがいいのかな。と思う。
  • 会社の実力を、自分の実力と勘違いしてしまうこと
  • 会計・ファイナンスといった生きていく上で重要な知識を会社にアウトソースしてしまっていること
会社に実力があればあるほど、勘違いする可能性は高くなるので自らを戒めなければならないと思う。仕事は素晴らしいもので、人として一生付き合いたいと思う人と数多く出会うけれど、仕事がなければこんな人とは付きあわないという礼を欠いた人も中にはいることもある。僕自身も礼を欠いた人間であったところは多々あって、深く反省している。

もうひとつのリスクは、会計・ファイナンス(あと、税務)といった、生きていく上で重要な知識を会社にアウトソースしているってこと。会社の経理部門は凄くしっかりしていて、なんでもやってくれたし、自分自身が積極的に学ぶ必要はなかった。だから、僕自身も真剣に学び始めたのはう随分遅かったし、知らないことばかりだ。これは将来にとってリスクだと思う。言ってみたら、サラリーマンというのは、日本政府に対してとっても「うぶで素直」なんだと思う(会社が、というわけではない。)。高度成長期はそれでもよかった。でも、これだけ会社の未来が不透明な時代には、会社にお金まわりの知識を全てあずけ、頼り切っていることは一番のリスクとなる可能性もある。


三つ目は、時間リッチな人と時間プアな人ではお金の価値がまるで違う、です。ここで使われているたとえは非常に分かりやすいので、引用させて頂きます。

たとえば、予算20万円を使った旅行でも、半年の休みをとれる時間リッチな人は、あらかじめじっくりと時間をかけて旅行先の国の地理や歴史や文化の本を読み、片言ぐらいには言語を話せるようにし、ネットで十分な情報を集め、シーズンオフに格安の航空券を使い、現地の味のある安宿をぶらぶらと泊まり歩いたり、現地の露店マーケットの売り子さんや宿の人と片言で交流したりしながら、気に入った小都市に長期滞在したり、現地で友達を作ったりしながら、ゆったりとバカンスを楽しむことが出来る。

一方で、時間プアな人は、予算20万円の旅行でも、連続して休みが取れるのはたった7日間で、実質現地で過ごせるのは5日間に過ぎず、仕事の疲れもあまりとれないうちに、都市や遺跡の歴史的背景も、現地の人々の文化や置かれた政治的立場もろくにわからぬまま現地の人との交流もろくにないまま、観光名所をあわただしくまわり、高級ホテルにとまって贅沢気分を味わうのが関の山だったりする。いかにも貧しい旅行だ。

時間の重要性って、誰もがわかっていることだと思うんだけど、潤沢な収入があり、これからも収入が伸び続ける人は、時間をお金で買えばいい。そうでなく、収入に限りがあり、これから伸びるかどうか分からない人は、収入を減らさず、(あるいは減らしても)いかに時間をリッチにして生きるかを考えてもいいのではないかと思います。


四つ目は優秀な若者が海外に流出したらすぐに経済がダメになるというのは一部の金持ちのポジショントークという部分です。

正確に言うと、本当に気になったのはこの部分ではありません。
日本の高所得者の多くは、本人の能力も仕事場も日本語経済圏に依存しており、重税をかけられても日本からは逃げられない。(中略)優秀な若者達が国外に流出しても、すぐには経済には影響しない。
ここです、ここ。これは結構真実なのではないかなと思います。実際に、高所得を得ているけれども働く場所を自ら選ぶことが出来ていない人は、ここに属する可能性が非常に高いです。そう、会社のために、頑張って頑張って、結果的にそれ以外の道を選べなくなってしまった人たちです。今の日本の高額所得者たちは、日本という国に縛られて生きているのです。(本当に場所を問わず働ける人は、とっとと海外に出ていく傾向があります。高城剛さんとか、辻仁成さんとか、村上世彰さんとかがそうなんですかね。日本にいるのは、なんだかんだいって、ホリエモンがいうように、東京ほど住みやすい都市はないからでしょう。もちろん、これからの若者にとってもそうであるとは限りませんが。)

この一文は、もうひとつの興味深い意味も内在しています。若者は積極的に海外に出て行ったほう(出ていける力をつけたほうが)がリスクは少ない。ということです。当たり前のことですが、海外に出ていけない若者はゆっくりと落ちていく国で生きるほかない。とも取れますね。明治~昭和初期のように、日本の優秀な若者が、仕事を求めて海外に移民する時代がくるのかもしれません。


こう書いていくと、暗い話ばかりにも思えますが、力をつけた若者にとっては、別に住みにくそうな時代でもなさそうです。若ければ力をつけろ。そんな年齢でもないのであれば、今の条件下でしたたかに生き抜け。ってことなのかもしれませんね。僕は若者の側に入りたいところです。


#まったく関係ない話ですが、2.26事件を起こした青年将校たちは、田舎の貧村の娘が僅かなお金で人買いに売られている姿を見て、決起を決意したという話があります。小学生の女の子がなりたい職業に水商売を選ぶ世界っていうのも同じぐらい狂っているような気がしますが、大丈夫なんでしょうか。


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