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学生時代に学ぶべき学問:衰退の10年を生きる その1
昨日に引き続き、学生時代に学ぶべき学問に関して考察していきたいと思います。学ぶべき学問として3つ目に挙げたのは、会計/ファイナンスです。あまり当たり前のことばかり述べていてもつまらないので、僕自身の感想を率直に述べてみたいと思います。
3.会計/ファイナンス
会計/ファイナンスの必要性については今更述べるまでもないと思うのですが、僕なりの視点からその必要性が年々高まっていることを示したいと思います。かつて、僕のブログで紹介したグラフ(平成19年度版 法人企業統計調査より作成 縦軸の単位は億円)で恐縮なのですが、下記をご覧ください。
リーマンショックが起こる前、2007年までの企業の経常利益と従業員給与を示したグラフです。このグラフによると、
- 金融危機前の10年間で、企業の経常利益は28兆円から53兆円(+25兆円)に増加
- 一方、従業員給与は147兆円から125兆円(-22兆円)に減少
このグラフから見てとれるのは、
労働収入に頼る時代から、資産収入が必要な時代へのシフトが起きている
という事実です。
株式会社という組織で働いている以上、会社の持ち主は株主になります。小泉改革の時代は、日本経済が上向いた時期でした。団塊世代の退職と少子化への不安もあって、「就職」という視点から見れば、圧倒的な学生の売り手市場となった時代でした。(バブル期を上回る求人倍率と言われました。)採用担当は採用人数を確保するのに必死でした。それがリーマン・ショックが起こる直前の就職活動でした。
しかし、経済が上向いたこの時期にも、企業は人件費のカットを続け、懸命に利益を確保しました。確保した利益は、法人税という形で国に納められ(国の借金を減らすことにつながりました)、将来への投資として残されるぶんを除けば、会社の持ち主である株主に還元されます。(この時期、日経平均は20%上昇したといいます。)
こういう話をすると、小泉改革が悪かったみたいな話につながるので嫌なのですが、グローバルな競争に耐える企業をつくるために、当然のことをしたまでなのです。経営者の視点で見れば、ITや海外に代替可能な労働は代替し、企業が生き残るための競争力を確保。しただけなのです。
この動きは止まらないと思います。給与所得は労働がITへ代替されたり、国際競争にさらされることで、伸びが頭打ちになります。一部の極めて優秀な人材であれば、満足いく収入を得ることはできると思いますが、それよりも世界のルールに従って、資産収入を得るための訓練を早い段階からしておくといいと思うのです。
満足いく収入を得ていたとしても、いざ会社が潰れたり、給与を減らすといわれた時のリスクに対応するためにも、資産から収入を得る力を確立しておいたほうがいいと思うのです。
言い方は悪いかもしれませんが、発展途上国が勤労への情熱をもとに経済成長を実現するのであれば、先進国は金融の知識をもとに経済成長を実現するべきだと思うのです。今はまだ、そういう状態にない人も多いかもしれませんが、そういう時代に向けての準備だけはしておくべきだと思います。
■どのように、会計/ファイナンスに関して学ぶか
就職活動をしていくと、
「入社前(あるいは入社後)に、簿記2級(あるいは3級)程度の知識はつけてもらいます。」
「社会人にとって、簿記2~3級程度の知識は必須です。」
と言われることも多いのではないでしょうか。ですから、なんとなく会計の重要性に関して意識している人も多いと思うのですが、学生時代にとった簿記や会計の授業はこの世のものとも思えないほどつまらなかったという人も中にはいらっしゃることと思います。かくいう僕もそうです。
かくして学習内容が中途半端なまま、僕は社会に出てしまったわけですが、びびらされていたほどは困らなかったのも事実です。(金融系の会社につとめたのであれば、そうもいかなかったのでしょうが。)
かつて戦略コンサルティング会社マッキンゼーで、日本支社長や本社ディレクターを勤められた大前研一氏はその著書「サラリーマン・サバイバル」の中で初仕事でのエピソードを持ち出し、次のように述べられています。
アビ―さんはいきなり「まず、ブレーク・イーブン・アナリシスをやろう」と言った。
損益分岐分析のことだが、意味が分からなかった私は「骨でも折れるのかな、弱っちゃったな」と思って聞いていた。話が通じないことを不思議に思ったアビ―さんが質問した。
「君はビジネススクールに行ったことがないのか?」
「ありません。私はエンジニアです」
「どうして君のような人間がこの会社に入ってきたんだ?」
「採用した人に聞いてください」
間の抜けたやりとりである。
業を煮やしたアビ―さんは「おまえは雄牛についたオッパイみたいなやつだ」と罵った。雌牛のオッパイは使えるが、雄牛のオッパイは使いようがない、つまり役立たずという意味だ。生まれて初めて味わう強烈な屈辱だった。
ところが、実際に損益分岐分析をやってみたら、実に簡単だった。原子炉設計では拡散方程式や輸送方程式、ベクトル、マトリックスなどの複雑な計算式を使っていたのに、損益分岐分析には加減乗除しか必要ないからだ。加減乗除だけで問題が解決できて金が稼げる経営コンサルタントというのは不思議な商売だな、とおもったものである。
このエピソードから僕が言いたかったことは、二つです。
- 大前研一ほどの人が知らなかったのだから、会計やファイナンスに関して知らなくても恥ずかしく思うことはない。
- 社会に出てから、嫌でも使うことになるのだから、現実の仕事と照らし合わせながら学んだほうがスピーディーに学べる。
大学で学ぶのであれば、少人数制でディスカッション中心の簿記や会計の授業が取れるようであれば、是非とっておくといいと思います。社会人になってからスクールに入る必要もなくなるし、単位ももらえます。
投資サークルみたいなところがあれば、入っておくといいと思います。ただ、自分の身の丈にあった投資をする理性は必要ですので、前回述べた哲学や経済学について学んでからのほうが、合理的な判断はできると思います。
4.語学
語学に関しては、今更言うほどのこともないので割愛します。この点に関しては僕が学生のころよりもはるかにできる人が多くなっているな。という印象を受けます。企業に送られてくる履歴書を見ると一目瞭然なのですが、TOEIC900点台とかごろごろいてびっくりします。語学に関しては、僕が学生だった10年ちょっと前よりも、遥かに必要性に気付いている人が多く、またマスターしている人も多い科目のように感じています。
以上、衰退の時代に学ぶべき学問ということで4つの学問をあげました。主観的な意見で恐縮ですが、この4項目を挙げた理由をまとめてみます。
1.哲学(クリティカル・シンキングといっても可)に関しては、すべての学問のベースで学んでおくとその後の学習効率が飛躍的に向上する学問だと思います。ここ10年ほど続いている、外資金融ブームや外資コンサルブームのおかげで、就職活動をはじめる3年時にその存在に気付き、様々な形で学び始める人が増えてきたと思います。(理系の人であれば、研究や実験を通じて、問いをたて証明することに慣れてらっしゃるかたは多いと思いますが。)
ただ、3年から始めるととてももったいない。
高校までの勉強はどうしても問いが与えられ、決まった回答を書くという訓練が中心のため、「自ら問いを立て、論理的にこたえる」ことに戸惑う人も多いことと思います。しかし、大学の勉強は自ら学び、問いを立て、教授や友人と議論を通じて考えを深めていくことに本質があります。また、生き方を見つけるという意味でも、思考法を身につけておくというのは大変有意義なことだと思います。
2.経済学に関しては、世界の流れを読むという意味でも、ビジネスのアイディアを考えるという意味でも、近年その重要性がますます増してきている学問だと思います。ただ、会計や語学に比べて、将来の人生にどのように関わってくるのかいまいちイメージしにくいために、学ばないまま学生生活を終えてしまう人も多いと思っていまして、大変もったいないことをしていると思います。哲学(クリティカル・シンキング)と同様、必要性は高まり続けているのに、まだその重要性が気付かれていない学問のひとつなのではないかと思います。
3.会計/ファイナンスに関しては、以前からその重要性は言われ続けていました。しかし、簿記二級(あるいは三級)を取れば大丈夫かというと、そういうものではないと思います。かつては、会社やお金の構造を知るために必要な学問でした。今はそれに加えて、より「生き抜くため」「支出を減らし、収入を得るため」に必要な学問になってきていると思います。重要性は気付かれているのですが、資格をとったり、仕組みを理解するところでとまってしまっている、惜しい状況の学問と言えるかもしれません。
4.語学は重要性も気づかれているし、必要性も高まり続けている学問なので、あえて入れる必要もなかったかもしれません。少し蛇足のような感じになってしまいました。現実には留学生の人数は増え続けていますし、語学の学習環境もインターネットの普及により広がり続けていますし、ローカルな会社であっても、海外とのやり取りは驚くほど増えていますし、語学に関しては、一切心配していません。今更という感じになってしまいました。
以上、雑文にお付き合い頂き、ありがとうございました。不確かな部分、誤った認識もあるかと思いますので、忌憚ないご意見頂ければと思います。
今後は、マンガや、小説や、歴史やゲーム、自然科学といった中にある学びみたいものに関して書いてみたい。と、思っています。また、人と組織の問題や企業倫理の問題に関しても、もう少しミクロにフォーカスした記事を書いていければと思っています。
それでは、また。