さて、前回の続きです。

「天下三分の計」というのは、土地もなく民もいない劉備に孔明が授けた、本当に天才戦略家、孔明だからこそ描けた策なのですが、その要となる益州攻略(蜀の建国)を軍師として行ったのが、鳳雛こと龐統でした。

国もなく、民もなく髀肉之嘆をかこっていた劉備は司馬徽こと水鏡先生に会います。そして、「伏龍と鳳雛このどちらかを得れば天下も握れる。」と いう話を聞きます。伏龍はまだ池の淵で眠り、天に昇ろうとしない龍のことで、諸葛亮をさします。そして、鳳雛というのは鳳凰の雛のことで、龐統のことを指 します。まだ世に見出されていない才能がいるよ。ということを劉備に伝えているのですが、先ほどのどちらかを得れば~というのは実は創作物である三国志演義の話で、正史では「伏龍と鳳雛を手に入れれば天下を握れる。」という表現がされています。そう、「両方ゲットしなきゃだめよ」といわれているのです。三国志演義で「片方でいいよ」という変更は、架空の女性、貂蝉を生みだしたのと同じぐらい、大きな創作だったと思います。

おそらく、諸葛亮を神格化するために、このような表現をしたと思うのですが、実際は司馬徽の人物評がきわめて正しかった。なぜなら、諸葛亮は政治家であり、龐統は軍略家であったから。戦略家と戦術家といってもいい。


事実、益州攻略の際に全軍の軍師として劉備に同行したのは龐統でした。天下三分の計を劉備に示した戦略家は諸葛亮です。そして、単身呉にわたり、呉を赤壁の戦いに焚きつけた外交官も諸葛亮です。荊州の地を肥沃に育て、戦えるだけの陣容を整えたのも諸葛亮です。諸葛亮は慧眼を持つ戦略家であり、強靭 な外交官であり、すぐれた政治家でした。けれども、軍師ではなかったのです。

蜀の領土拡大にあたりその役にあたったのは、龐統であり、法正でした。龐統はその益州を攻略する際に、流れ矢にあたり死亡します。本当に不運な死だったわ けですよ。(演義では劇的に語られてますけどね。)その不運の死も実は避けることができて、劉備が蜀に入ったときに何も知らない劉璋をとらえてのっとって しまうことを進言しており、その助言が受け入れられていれば、もっと早く蜀をとることができたし、龐統も死ぬことはなかったんですね。

ちなみに付け加えておくと、天下三分の計を示したのは諸葛亮ですが、劉備は大義がないとして、実行に移そうとしなかったわけです。これを決心させたのが龐統で、攻略の計画を立案したのも龐統なので、演義で語られている以上に龐統SUGEEEEEE!なわけです。(ちなみに諸葛亮とはお互いの才能を認め合う 仲であり、劉備に冷遇される龐統を積極的に推挙したのも諸葛亮なわけです。最強コンビでした。)

で、不幸にして、益州攻略の最中に流れ矢にあたり龐統は命を失います。しかし、蜀はその拡大の歩みを止めるわけにはいきません、益州と荊州の一部を手に入れただけではとても魏や呉に対抗できないからです。軍師として、龐統の後任にあたったのは、益州出身の法正です。法正は性格が悪く徳のない男でしたが、その軍師としての才能はなかなかのもので(個人的には凄く好きなキャラです)、漢中という魏を伺うことのできる重要拠点を奪取する作戦を立案し、実行します。しかし、法正も漢中奪取でその脳漿をしぼりつくしたのか、翌年無くなります。日露戦争の指揮をとった児玉源太郎が命を燃やしつくして死んだのと似たような状況かと思います。

さて、そうなると、蜀という中央から離れ、人口も少ない立地が蜀の首を絞めることになります。すなわち、人材がいない。人材が集ってこない。ただでさえ、国力的には反乱軍の規模です。まともな軍師がいなくなった蜀は、もともと軍師というよりも政治家であり、外交官である諸葛亮に軍事もゆだねます。明らかにオーバーワークです。

後に彼が軍師の才を見出したのは馬謖であり、重用したのですが、孔明に見る目がない。ということもあるのかもしれませんが、それ以前に人材戦略の面でもう負けていたんですね。優秀な人材が集う環境を作れなかった点で。だから、その中で多少輝いていた馬謖に過度の期待をせざるを得なかった…。と。

ちなみに、諸葛亮の戦い方は極めて正攻法でセオリー通り。国を豊かにし、出来る限り多くの戦力を整え(それこそ、現在の軍隊と同じように5カ年計画で北伐を考えていたふしがあります。すごい能吏だったわけです。)技術の発展を促し、まっすぐに戦う。

まっすぐに戦うと、攻める側は勝ちきれない。兵力だけでいったら、魏も同じかそれ以上は用意できるわけですから。(もちろんそこは孔明のこと、自分が動くときは必ず呉も動かし、魏の兵力を集中できないようにしていました。)

ただ、まっすぐに攻めるだけではなかなか勝てないのも事実。結果、孔明の北伐はすべて無駄足に終わります。もし、策をたてることができる龐統が傍らにいたら…。

歴史にifは禁物です。だからこそ、三国志演技でも「伏龍と鳳雛を手に入れれば天下を握れる。」という正史に準じた記述にしてほしかったところです。なぜなら、龐統が死んだところで、天下に覇を唱える蜀の悲劇が伝わってくるから。孤軍奮闘する、諸葛亮の苦悩も物語に彩りを加えるに違いありません。

法正の策によって、漢中を制圧したころが、蜀の国力が最大だったころです。蜀はその歴史において、傍らに龐統ないし法正といった軍師がいたときしか、その領土を広げることができていないのです。(正確に言うと諸葛亮も南蛮を制圧してますが規模的に余りにも小さいです。)劉備を天下に送り出し、天下を狙う一縷の望みを作りだした諸葛亮ですが、その天下三分の計は、龐統の死という身近な人物一人の死で幕を下ろしてしまったのかもしれません。

# 諸葛亮の南蛮制圧の時の軍師は前述の馬謖。馬謖はのちに命令違反で大敗を喫し、諸葛亮に「泣いて馬謖を斬られ」ます。時間のあるときにでも彼のことを書いてみようかと思います。失敗を糧に大化けする可能性もゼロではなかったと思うのですが。