![sanguo](https://livedoor.blogimg.jp/fukuidayo/imgs/9/5/950ff410-s.jpg)
コアとなるゲームエンジンが最高なために、アマチュアがアレンジしたmodでも、能力ゲーと化したKOEIの三国志シリーズよりもはるかに楽しめてしまうのが恐ろしい。戦略・外交の奥深さはKOEIゲームに物足りなさを感じる戦略マニアには絶対に受けるはずだ。それでいて、武将の能力もきちんと反映されていて面白い。圧倒的な兵力差があると、どれだけ優秀な将がいても蹂躙される。というバランス、それでも同じ兵力だったら、たとえテクノロジーが劣っていようとも、守るだけならなんとかなる。というバランス。どれだけあがいても呉や蜀が魏に勝てない理由がわかる。ただし、蜀は山岳地帯で。呉は揚子江という天嶮に守られて守るだけならなんとかなる。というあたりが、自然と3国鼎立の状態を生みやすく、かつてこれほどまで面白い三国志ゲームに出会えたことはなかったように思う。
三国志modに触発されて、改めて蒼天航路を読み始めたりしています。
どうでもいいんですが、蒼天航路の董卓は本当にカッコいい。董卓ってふつうの三国志ものだと、最初の悪役でしかもやられキャラなんですけど、なんでそん なダメダメな人があれだけ権力を延ばし、周囲に恐れられるのか、その説明が三国志演義などの物語では不足しています。だから、実際の董卓の人物像は蒼天航路に描かれるように、天命すら恐れない合理性の持ち主だったのではないかと思います。たとえるなら、前の世代の始皇帝。後の世のチンギス・ハン。人を信じず能力と合理性を頼みに乱世を生き勢力を伸ばすその姿は、壮絶な幼年時代を送った始皇帝やチンギス・ハンと類似したものを感じます。
さて、本題。関羽雲長と張飛益徳。劉備の義兄弟として日本でも人気が高いこの二人ですが、中国にいったことのある人であれば、ご存知の通り、関羽はリアルに神として祭られていて、古くから商売をしている店などでは必ずと言っていいほど、像が置いてあったりします。で、関羽だけならいいんですが、オマケで張飛も祭られているんですねw。まぁ、まじめなところだと違うのかもしれませんが、結構適当なところだと、狛犬のような感じで、左に関羽、右に張飛がJoJoも真っ青なポージングで屹立していたりします。(写真とっておけばよかった…)
オイオイ適当だなぁ。と中国にいったときは思っていたのですが、これは別にあながち間違いでもないようで、関羽の「関」は閉じるという意味、張飛の「張」は開く、という意味で対義語になっているのです。そして「羽」と「飛」は同義語。そういうわけで、二人の関係は、「左手と右手、違いはあれども二つで一つ」みたいな意味を持つ存在なわけです。この二人は偽名といいますから、おそらく侠者時代の本名から、劉備とともに義勇軍に加わるときに自ら名付けたんでしょうね。
「兄者(劉備)、これからは我々は兄者の右手と左手、阿形と吽形でござる。」みたいな感じで。(正史のほうには、義兄弟という記述こそありませんが、同じ布団で寝た。というようななかの良さを感じさせる記述はあるようです。)1800年の時を超えて、彼らの息遣いが聞こえてくるようです。詳しくは調べてませんが、雲長と益徳もおそらく対義語・同義語の関係だと思います。長と徳は完全に同義語ですしね。
歴史で見ても、彼らの性格も右手と左手のような関係です。関羽は学もあったので上に厳しく、下に優しくというマネジメント。張飛は学がないことがコンプレックスだったのか、上には弱く、下に厳しく。という性格。関羽はその自信から時に傲慢なところもあったが、張飛が役職や立場にこだわる場面、劉備や軍師に反対する場面は出てきません。いい意味ですごく素直な子供のようなキャラです。
これは自分の目で見たわけではないですが、中国で上演される三国志の劇でもちびっこに一番人気なのは張飛で出てくるだけで笑い声がおこるとのことです。この人間味あふれるところが張飛の魅力なんでしょうね。
さて、そんな右手と左手の関係が崩れる時、すなわち関羽が樊城の戦いで敗れ、死を迎えたとき、蜀の運命も決まります。時は蜀が漢中を奪取し、蜀の版図を歴史上最大に広げた直後。本軍の動きと呼応し、関羽は曹仁が守る樊城を攻め、あと一歩のところまで魏を追い詰めます。が、外交の失敗により、一時的に魏と呉が連合を組み関羽を挟撃。その偉大な英雄は死を迎えます。
右手(関羽)を失った劉備と張飛は感情の赴くまま無謀な大軍勢で呉を攻めます。その途上、張飛は部下に殺され、劉備は無謀な攻めが失敗し、その命運がつきます。(夷陵の戦い)
蜀は、夷陵の無謀な戦いと敗北によりその命運が尽きた…。というか魏を倒す可能性をゼロにしてしまったといわれますが、僕はどちらかというと、より重要な決戦は樊城の戦いだったと思います。関羽の死とともに、蜀はその命を絶ったのだと。ただ、その人間味あふれる一群の人々の行動が、規模から見たら朝廷に対する一反乱軍に過ぎない蜀を2000年続き、愛される物語の主人公に仕立て上げたのだと考えると、彼らもまた勝者だったと思えてきます。(日本に置き換えて考えてみると、本州vs北海道みたいな国力差だと思われ。呉は本州vs四国・九州とか?)
さて、蜀の命運が尽きた…。という意味では、もっと前にその命運が尽きていたともいえます。具体的にいうと、鳳雛の死ですね。これに関しては次のエントリで書こうと思います。
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