3月のライオンというマンガがある。作者は「ハチミツとクローバー」などで有名な羽海野チカさんだ。厳しいプロ将棋の世界を、優しいタッチで描いた作品だが、プロフェッショナルとは何か。キャリアとは何かを考える際に参考になる話がいくつも出てくる。そこだけ取り上げると「働きマン」みたいだ。

さて、その話の中に、主人公の桐山零がトーナメント戦の、次の対局相手のベテランの研究をそこそこにし、決勝で当たると思われる相手(後藤)の研究を一心にする。という場面が出てくる。その研究中の姿をたまたま見かけたのはスミスと呼ばれる別の棋士。零の友人でもある。

スミスは後藤の準決勝で当たることになっていた。スミスが勝ち抜くとは微塵も考えず、後藤の研究を一心にする零。その姿を見てスミスは心を痛めるが、「勝てるかもしれない。」「優勝できるかもしれない。」そう考えるやつじゃなきゃ、プロの世界の頂点には絶対に立てない。と思いを馳せる。

零は後藤と当たることはかなわず、研究をないがしろにしていたベテラン棋士、島田に敗れる。そして、スミスは後藤に敗れる。そして、お互いがお互いを恥じ、悔いる。プロの厳しい世界を描いた良作だ。

 根拠のない自信。どこの世界であっても、何か大事を為そうと思ったら、この自信が何よりも重要だ。零が優勝を目指して、準優勝の相手の研究をおろそかに したのも、未熟といえば未熟だが、スミスがいうように、自分自身の可能性を信じて勝負できる人間でないと、その世界で頂点に立つことはできない。スタート ラインに立つことすらできないかもしれない。

「社長になれる」あるいは「社長になるんだ」そういう、根拠のない自信を持ち続けらる人でないと、絶対に社長にはなれないし、これが政治家であっても、料理人であっても、芸術家であっても同じだ。

世界的ピアニストに絶対になれる。と心の内からごく自然に感情が湧きあがってくるような人間でなければ、絶対に世界的なピアニストにはなれない。それが、小説家であっても同じことだ。

多くの人は、チャレンジを始めた最初の頃は、得体のしれない自信に突き動かされる。情熱的に作品をつくる。あるいは仕事をする。世間と出会い、その壁の高さに気付き、多くの人はその道で勝負することを諦める。生き残る道を模索する人もいれば、別の道を志す人もいる。

そういえば、日本のプロゴルファーの頂点にたった、ジャンボ尾崎は、「黒い霧」事件で有名な天才投手 池永正明と同期で入団し、彼のピッチングをみて、プ ロ野球選手として生きることに見切りをつけゴルフの世界に転身した。「やってみなきゃわからないじゃない」と当時の尾崎に進めることはできるかもしれない けれど、可能性を信じることができなくなった時点で、辞めてしまう。というのも一つの決断と言えば決断だ。

自分は何に、自信を持っているか。「もしかしたら」世界一を目指せるような才能がどこかに眠っていないか。それを考え突き詰めるということは素晴らしいことだと思う。

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さて、可能性を信じ、挑戦し、敗れたものはどうなるのか。3種類の人がいる。
  1. 敗れたものの、その世界にしがみつき生き続けるもの
  2. 過去を悔い、過去を懐かしみ、嘆くだけのもの
  3. 己の限界をしり、可能性を見出した人を支援することに自分の生をかけるもの
1の人物はまごうことなき、プロだ。その世界で生き続ける。その道で食う。たとえ頂点には達しえなかったものの、その世界で生きていることそのものが、日々挑戦といえる。

2は、夢敗れ、その世界を離れ、過去を懐かしむだけの存在だ。心の奥底では自分自身の限界を知り、それで道を諦めたにも関わらず、人と接するときは理由を つけて、その自分の心の負けを認めようとしない。「けがさえなければ、今頃プロだった。」という高校球児やサッカーの上手い友人のことを思い浮かべてほし い。仕事でいえば、「周りに恵まれれば今頃は○○になっていた」と自分の能力の無さを周囲のせいにする人材がこれに該当するか。

ふつうはこれで終わるが3という存在もいる。自分の能力の無さを痛いほど知っている。
だがその道に未練があり、捨てることができない。
行き場のない力を別の分野に注ぎ、仮の世を生きる。

そういう人物は今も昔もきっといる。
哀しいことに、そのような人物は、自分のかすかな力でできる精一杯のことを行い、その生を終える。

中国の「史記」にはそういう人物の話がたくさん出てくる。遊説家として若いころは名をはせていたが、自分の力のなさを痛いほど知り、無頼の輩に身をおとし めて生きている人の話。彼らは自分を厚遇してくれた賢者たちにその才を振り絞って使う。何度も出てくるわけではない。命を賭してわずかばかりのアドバイス をして、そして自らは自殺する。そんな話。その生を意味あることに使ったという意味では、価値のある死だったのかもしれない。

最近、妙にそんなことを考える。
妄想という名の切符はすでに手に入れている。
実はその切符は多くの人が少し自分を信じるだけで手に入れることができる切符なのだが、自分が不得意な分野で、負けを知り、ライバルの強さを知るごとに、どの分野でも自分は負けてしまうのではないか。という恐怖に駆られ、勝負することそのものを諦めてしまう。

やるからには、頂点を目指さねば。最悪でも1の人生には落ち着かなきゃ。そういうことを考える人が大半だろう。2の道はきっと選びたくないに違いない。能力だけでなく、心まで貧しくなったように感じるに違いないだろうから。

では3の道はどうだろうか。限られた能力を総動員して一事を為すという人生。
以前はそんなにすごいとは思わなかった。
でも最近は、それができればまぁ、人生よかったと思えるんではないだろうか。少なくともほかの人に迷惑はかけない。

なぜか、そう思い始めている。

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