前回まで
習作)Home -1

「隆の家は何人家族?」シングルモルトに口をつけながら、立見さんが唐突に訪ねる。
「4人家族です。父と母と妹。」
「昔から、そう?」
「そうですね。ずっと4人でした。もっとも今は一人暮らしですけど。」
「僕は学生時代はずっと、7人家族だったんだ。今は、知ってのとおり一人暮らしだけどね。姉と妹は結婚したので、田舎では父と母が二人で暮らしている。」そういって、立見さんは静かに話し始めた。

僕-立見高彦は、北陸の田舎町の出身だ。田舎だからスモッグなんてかかっていない。だけど、北陸の空の色は鉛色だ。そういう記憶が強いだけかもしれないけれど、とにかく、雨と雪の記憶ばかり残っている。空を見上げると、真っ白な雪が鉛色の空から落ちてくる。結晶まで見えてしまいそうな、大粒の雪。目を閉じるとそんな記憶ばかり思い出される。

両親が共働きだったから、小さい頃は、祖父母が遊び相手だった。祖母は教養のある人で、勉強は祖母から。遊びやスポーツは祖父から教わった。

祖父は若い頃柔道をやっていて、かなり有名な選手だったらしい。そのせいなのかはわからないけれど、祖父からはいくつも「奇妙な教え」を受けた。たとえば、「歩いている時にポケットに手を入れるな。」という教え。これは、交通事故とか、いつ、どんな不測の事態が起きても「受け身を取れるように」という理由から、繰り返し教え込まれた。柔道を学ぶと最初に徹底的に教え込まれるのが受け身なのだけど、祖父は受け身さえしっかり取ることができれば、車にはねられても、家の二階から落ちても大丈夫だと信じていたふしがある。そんなわけで、祖父の前でポケットに手を入れて歩くことは、絶対にやってはいけないことの一つだった。
祖父は昔の人だったから、「男が泣くのは親が死んだときだけでいい。」といっていたけれど、「ローマの休日」を見て泣いていた祖父を知っているし、家族に不幸があったという人の話を聞いて、思わず大金を包んで渡してしまったことがある、という話も聞いた。その不幸話はどうやら作り話だったらしく、それを知った祖父は一ヶ月ばかり不機嫌で、その人の悪口ばかり言っていたが。そこらへん含めて僕は祖父のことが大好きだった。

けれど、東京の大学に通い始め、祖父に会うことが少なくなるにつれ、僕の中での祖父の存在感も小さくなっていった。まぁ、ある意味それはしょうがないことだと思う。少年時代を離れ、大人になるってことはそういうことだと思うから。僕の未来には無限の可能性があったし、輝くような素晴らしい出会いがあったし、毎日何かしらワクワクするような変化があった。そういった毎日の中で、祖父は過去の思い出、あるいは日々色褪せていくものの象徴だった。

就職してからはその傾向がもっと顕著になった。僕は、大学を卒業すると国内最大手の広告代理店で働きはじめた。素晴らしい仲間と周囲に恵まれたけれど、目が回るほど忙しい毎日だった。一日3時間睡眠で、週に6日は働いていたと思う。僕だけじゃなくて、皆それぐらい働いていたけど。

仕事は楽しかったし、やりたいこと表現したいことを形にしている自信があった。たしかに辛いこともあったけれど、それ以上に燃えていた。少しずつ、成果も出せるようになっていた。でも、それぐらい忙しいと、いつの間にか本当に大切なものもなくしてしまうものなんだ。人は誰でも、何かが十分にあるうちはその大切さに気付かない。失ってはじめて、気付くことが出来る。いや、気付くことができればいいほうで、気付かないまま日々を過ごしてしまうことも多いんだ。

僕はちょっとずつ、感性を失っていったと思う。ちょっとしたことに喜んだり、感謝したり、楽しんだり、泣いたり、笑ったり。そういう、人が普通に持っている感情が、どんどん薄くなっていった。友人や恋人に対しての思いやりも薄れてしまった。収入は増えたけれど、ムダなものを買ったり、女の子のいるお店で散財したり。ってことも多かった。

仕事をして、ストレスを貯めて、その代わりにお金を得る。お金を使うことでストレスを解消する。そんな毎日。カッコよくて、リッチな社会人に憧れていたのに、いざ人からうらやましがられる会社に入って、お金を得てみると、全然面白くなかったし、満たされてなかった。

そんな中、祖父母が倒れた。病弱だった祖母が倒れ、そのすぐ後を追うように祖父が亡くなった。僕が社会人3年目のときだ。祖父が倒れたのは祖母の49日の法要を終えたすぐ後だ。食事もとらなくなって、まるで自殺だった。自分の人生の役割を終えたかのように息をひきとった。会社の人はすごく理解があって、祖母が倒れたときも、祖父が倒れたときも、仕事は引き受けるからすぐ実家に帰れっていってくれた。大好きだった祖父母の死だ。絶対に泣く、と思っていたし、実際に祖母の時は悲しくて涙が出てしょうがなかった。そんなだから、祖父が倒れたときももちろん悲しくてしょうがないと思っていたんだけれど、不思議と悲しくなかった。「あぁ、ついにこの日が来たか。」そういう感覚。悲しくない自分は少し驚きだった。頭の片隅では少しだけ、やりかけの仕事のことが気になっていた。

祖父は生前、「自分が死んだときに高彦が泣いてくれると嬉しい。」と何度か言っていた。そのたびに僕は心の中で、「そんなの当たり前だよ。」とつぶやいてきたけれど、いざ、祖父の死に直面してみると、不思議と涙は出なかった。少しだけ、祖父を裏切ったような気分になった。客観的に見ても、通夜も葬儀もそれなりに立派なものだったけれど、当時の僕には他人事のように思えた。


- 「それが立見さんのいう、『後悔』ですか?おじいさんが亡くなられたときに、涙を流せなかったことが。」ひとしきり、先輩の話を聞いた後、僕が訪ねる。祖父母との思い出があまりない僕にとっては、立見さんの話をどこまで理解出来たかわからない。例えば、僕の父や、母がなくなったとしたら、悲しいだろうか。心の底から泣くだろうか。
「うーん、実はちょっとよくわからない。」ゆっくりと立見さんが答える。「本当に好きだった祖父のたったひとつの願いですら、叶えることが出来なかったこと。そしてそれを、仕事のせいにしてしまっている自分。確かに後悔なんだけれど、何に対して一番後悔しているのか、まだ自分でもよく分かっていないんだ。」
「あまり自分自身を責めないのが一番だと思いますよ。おばあさんが亡くなられて、それから時間があったわけですから、おじいさんの死を受け入れる、心の準備が出来てたってだけじゃないでしょうか。僕はそう思いますけどねぇ。」
「そうかもしれないね。」
「そうですよ。きっと。」僕は立見さんを励ますように言い切り、一呼吸おく。
「でも、もしかしてその後悔が、立見さんが会社を辞める理由なんですか?」他の会社から良い条件で引き抜きがかかったというほうが、僕ははるかに納得できる。

「それもあるけどね、実は父親から田舎に帰ってきて欲しいって連絡があってね。父親もいい年だから、最近心細くなってきているみたいだから一度田舎に帰って、田舎で新たな根を張ろうかと。」
「え、実家に帰られるんですか?仕事のあてとかあるんですか?」
「実は、仕事のあてはねまるでない。東京もひどいけど、最近は田舎の不況っぷりはすさまじいようだし、戻って職が見つかるとは思えない。見つかったとしても年収は半分もらえればいいほうだろうね。」
「それは厳しいですね。」
「というわけで、自分でもこれからどうするか、全然考えてない。ただ、祖父が死んだときに、涙が出なかったことに、何か意味があるんじゃないかと最近は考えている。何か忘れていること、やらなければならないことがあるような気がして、それを祖父が気付かせてくれようとしているんじゃないか、とね。もちろん、僕の思いこみかもしれない。潜在意識で感じている、罪の意識を自分自身でごまかそうとしているだけかもしれないし。」
「でも、答えが見つかるといいですね。」
「多分、近い将来、見つかると思う。それだけは自信があるんだ。」
そういって、立見さんは微笑む。チェイサーを頼み、ひとくち口に含んでから、時計を見る。終電が近い。
「僕の話ばかりして、申し訳なかったね。今度、時間があったら僕の田舎に遊びに来てよ。春がオススメだよ。美味しい日本海の魚をご馳走するよ。」
「そうですね。是非一度おじゃましたいです。」
まだ、立見さんに聞きたいことはたくさんある。でも、僕には時間が必要だ。いつもはわかりやすい立見さんの話も、多分今日は30%も理解できていない。

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立見さんと飲んだ次の日から、僕の「後悔」探しが始まった。
別に深い意味があったわけじゃない。立見さんの話を理解出来たわけでもない。ただ、立見さんの話はなんとなく、くさびのように僕の心の中に何かを残していたし、「時間が経つにつれ、深く重くなっていく後悔」っていうのは、なかなか素敵な表現だと思った。話を向けてみると、思いがけず深い話が聞けたりすることもあったので、ちょっと親しい相手には、つい聞くようになってしまったのだ。(続く)