宇宙や生命のことを考えると、誰もが心にわずかなざわめきを感じる。
僕たちはその不思議に魅せられ、答えのない問いをしては、宇宙や生命の神秘に畏敬の念を覚える。
・人体は一つの小宇宙のようだ。人体は六十兆個の細胞からなり、死と誕生を繰り返しながら、いつしかその生を終える。時にコントロール不可能なまでに増殖する細胞が現れ、これは癌として認識される。
・地球はひとつの生命体のようだ。雷は脳波を、マグマは血液を、水は酵素をあらわし、それらの恵みで生きている生物は、人体の中に生きる様々な微生 物のようだ。さて、無制限に増殖し、地球を汚染する人類は、地球を人体にたとえるとどのような存在として認識されるのだろうか。
・コンピューターが果てしなく進歩したらどうなるのだろうか。今は簡単なシミュレーションを行えるだけだが、たとえばハードディスク内の様々なデー タが自律的な意思を持ち、進化するようになったらそれらは一つの生命と呼べるのではないだろうか。われわれの住むこの宇宙ですら、より高次の存在が戯れの 中に作った箱庭のような存在でないと否定することはできるのだろうか。
・宇宙はビッグバンから始まった。初期の宇宙には水素のみがあった。超高圧の中で水素はヘリウムを生み出し、初期の星たちが生まれた。そういった星 星の中心部は超高圧の空間で、そこで、さまざまな元素が生み出された。やがて星はその生命を終え、宇宙にエネルギーを拡散した。我々が住む地球は、星の誕 生と死を繰り返し3世代目の存在である。では、ビッグバンの外には何があったのだろうか。
小さい頃から、宇宙や生命や科学に興味を感じてはこのような空想を繰り返していた。
きっと、こういった想像は人間の深層心理に閉じ込められた根本的な問いなんだと思う。科学者は考察と計算によって、哲学者は問いを立てることで、宗教家は神の言葉を聞き伝えることで、そして小説家は文章を書くことで、心の奥底に湧く疑問に答えを与えようとする。
百億の昼と千億の夜 は、日本のSFの金字塔的作品といわれる。どの書評を見ても絶賛されているので、読んでみようと思って手にとった。これほどの作品が1965-66年に発表されたとはにわかに信じがたい。
光瀬氏自身、あとがきで述べているように、「幼年期の終わり」などの海外のSFに影響は受けているものの、より壮大なスケールで、生命と死、宇宙と文明、運命と抵抗を描き切っている。
寄せてはかえし
寄せてはかえし
永遠とも思える時の中で、命を刻む、不思議な一匹の生物の視点から物語は語られはじめる。
やがて舞台は古代ギリシャの哲学者プラトンは失われた文明、アトランティスへの旅へと出る。
物語はプラトンからアトランティスの司政官オリオナエに転じ、
オリオナエから、シッダールタへと物語は受け継がれる。
シッダールタはその旅のなかで、物語の真の主人公ともいえる少女「あしゅらおう」に出会う。
やがて、ナザレのイエスの話が語られ、あしゅらおうは時空を超えて、文明に死と破滅を強いる、超越者と邂逅し、絶望的なまでの真実に気づく。
あらすじとしては、こんな感じ。
この物語がのちのSF作品に与えた影響は計り知れない。
(評価)
– 宇宙、生命、神々の神秘に関して少なからず興味・関心のある方にとって
★★★★☆ (星4つ。西欧文化圏では描けなかったであろう圧倒的な世界観に酔いしれる。)
– 科学なり、宇宙なりにあまり興味がない方にとって
★☆☆☆☆ (星1つ。何を言っている話なのかさっぱりわからないのではないかと。)
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