fukuidayo

人と組織と、fukui's blog

32歳にして会社を辞め、小説家になることを志し、食うために起業したある男のblogです。

教育

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日本は移民三世の国になっていないか

資産を形成する。という分野に関して言えば、親が無意識の間に子の学ぶ機会を奪ってしまっている例がある。アメリカの億万長者を実証的に研究した、となりの億万長者に掲載されている例を紹介したい。
ビクターはアメリカに移住して、成功した起業家である。移民一世は一般的に倹約家で、社会的な地位は低い。自分に対して厳しく、ものをあまり買わない。リスクをとることを恐れず、熱心に働く。さて、移民一世が成功したあかつきには子どもたちに何というだろう?パパをお手本にしろと言うだろうか。パパの後を継いで屋根職人、掘削工、スクラップのディーラーになれと言うだろうか。いやいや、それは5人に1人もいないだろう。
ビクターのような起業家精神旺盛な移民はアメリカ経済を牽引する大きな原動力となっているが、彼らは子には自分と異なる道を進めるそうだ。子供にもっとよい暮らしをさせたいと思っている。子供には大学に進学して、医者、弁護士、会計士、会社役員などになれ、と勧めている。日本であれば公務員も候補にあがるかもしれない。

子供たちが自分で事業を起こすことには水をさし、無意識のうちに子どもが社会に出る時期を遅らせ、つましい我慢の連続の生活をしないようにと話してきかせている。
ビクターの子どもたちは、大学、大学院と進み、金を使うことを覚えてしまった。彼らは今やりっぱな蓄財劣等生。事業に成功したブルーカラーの父とは正反対になってしまった。彼らはみごとにアメリカナイズされ、お金を使うことを楽しみ、社会人になる時期を遅らせる世代として育ってしまった。ビクターの子どもたちのように。移民の二世、三世がアメリカナイズされるのに、たいした時間はかからない。一世代からに世代のうちに「普通のアメリカ人」になってしまう。だからアメリカは、ビクターのように勇気とねばり強さを持つ移民を常に必要とするのだ。
この文章を読み、不思議なデジャヴを感じる人はいないだろうか。
そう、僕らが暮らしているこの日本全体が、ビクターとその子どもたちのような状況に陥っている可能性はないだろうか。


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22

人は時に自分の本当の幸せを見失う


日本を案じるような論調がメディアを席巻しているけれど、本当に日本って暗いニュースばかりなんだろうか。
もし、あまり幸せを感じることが出来ていないとしたら二つぐらい理由があるんじゃないかと思う。


一つは、日本が十分豊かになってしまったこと。お金がまったくないときに宝くじで100万円を手に入れることが出来たら、びっくりするぐらい嬉しいだろう。一方で、10億円の資産を持ち、黙っていても毎年1億円ずつ増えていく富豪の人が100万円を手に入れても、嬉しさはお金がまったくない人よりも少ないことだろう。

幸せとは絶対的なものではなくて、自分がおかれている状況によって変化する、相対的なものなのだろうと思う。経済学的にいえば、限界効用逓減の法則というのかな。


もう一つは人は手段と目的を人は時に混同してしまうということ。例えば、金融の世界に身を置いたとする。金融の世界に身を置いたのは、高い収入を得たいからで、高い収入の先には幸せという本当のゴールがあると考えていたからそのキャリアを選んだのだろう。

しかし、そういう風にしてキャリア選択をした人の中には、いつの間にかお金を稼ぐことがゴールになってしまう人がいる。これは、手段と目的を混同してしまった例だ。

金融を引き合いに出したけれど、こういった混同はそこかしこで起きている。自分や家族を幸せにするために必死に働いたのに、いつの間にか働くことがゴールになってしまっている。何か成し遂げたいことがあって起業したのに、いつしか存続させることがゴールになってしまっている。

これも手段と目的を混同してしまった例といえるかもしれない。

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厳しい環境に直面している国や民族のことを考えたときに、真っ先に思い浮かぶのはユダヤ人のことだ。国を持たずさまよえる民族となったユダヤ人は生き残るために、その知性を磨いた。他人が嫌がる金融という仕事に積極的につき(というか、それぐらいしか許される仕事がなかったからだ。)その力を磨き続けた。

災害が起こった時に、ひとつだけ持ち出せるとしたら、持ち出すものは「教育」(ユダヤ人のことわざ)

という言葉を生み出すまでになった。

氏族で固まり、有望な若者には投資するコミュニティを作り、新たな産業を育成した。

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16

親も学校も絶対ではないのだろう、きっと。

小学校や中学校で学んだことの多くは忘れてしまったけれど、誰の心にも忘れられない経験や言葉のひとつやふたつはあるのではないかと思います。

その心に刻み込まれた経験や言葉は自分の人生すら左右しうるとおもうのだけれど、これは「教育」や「学習」に起因するものなのか、生まれ持った性格的な「資質」に起因するものなのか、あるいはその両方なのか、自分にはなんとも判断がつかないものでもあります。

あるいは、その唯一の解決策は多様性という言葉に集約されるのかもしれず、親としては多様な環境に我が子を放り出すのがひとつの解決策となるのかもしれません。しかし、子はどのような環境にいても、そこに多様なものを見つけ敏感に感じ取るのではないかとも思うので、やっぱりよくわからないものでもあります。

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僕の人生を左右するような思い出の言葉は、幼稚園の年中組(2年目)の時に聞いた、保母さんの呟きです。僕が通っていた幼稚園には「お泊り保育」なるイベントがあって、1年に1回、幼稚園に1泊2日で泊まることになっていました。

僕は昔からこういうイベントが好きだったのですが、カバンの中にタオルが入ってないことに気付きました。荷物は自分とお祖母ちゃんで一緒に用意したのですが、その時僕は、「あー、お祖母ちゃんがタオル入れてくれなかった」と呟いてしまったわけです。

そのときたまたま僕の後ろを通りかかった保母さんが呟いた言葉が頭に残って離れない。

「あー、この子またお祖母ちゃんのせいにしとるわ。」

その時、僕はたまらない恥ずかしさを感じ、人生で何かおきたときに人のせいにするのはヤメよう。と強く心に誓ったような気がします。

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二つ目に記憶に残っているのは、小学校3年生の時のことです。その頃僕は習字を習っていたのですが(最後まで字はうまくならなかった。)、当時父親がまだ珍しかったパソコンを購入したことがあって、僕はそれが誇らしくて、習字の塾の友達に無邪気に自慢したのです。「俺の父さん、パソコンかったんだぜー。」ぐらいの感じだったと思います。父親の仕事のことも自慢したかもしれません。

それを聞きとがめたのが、習字の先生の助手の方で、何故かそのとき僕はその助手の人に真剣な顔で、「それはあなたが凄いんじゃなくて、あなたのお父さんが凄いの」と言われたのです。

このとき、僕は確かにそのとおりと感じ、これまた猛烈に「恥じた」記憶があります。もしかしたら、家庭環境の厳しい子がその塾にいたのかもしれません。僕は相手に配慮して話さなければならないということをを学び、今後、自分の力で成し遂げたこと以外のことで誇るのはやめることにしました。

実際には、自分の力だけで成し遂げることが出来ることなんて何もないといってもいいぐらいだから、何か人にとって誇らしげに聞こえるようなことを言うときは、慎重に、言葉を選んで話す必要があるということを学んだのかもしれません。

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一連の中学受験の話題に関する私的まとめ

教育問題に関して、感動するエントリと出会ったので、一人でも多くの方とこの感動を分かち合いたいと思い、筆をとる。後で詳しく述べるが、感動したというのは芦田氏のエントリだ。ただ、このエントリはそのまま読むと誤解を招く可能性もあるので、時系列で様々なブログの記事を引用しながら教育に関して感じたこと、考えたことを述べた上で、芦田氏のエントリを紹介したい。

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ここ数日、Twitter上で教育問題に関しての話題が尽きることはなかった。発端は下記のエントリだ。

教育の改革は火急の問題 - 松本徹三

このエントリに関してはぼくも既に見解を述べた。各論には反対する部分もあるが、松本氏が主張するところの、「画一的な価値観ではなく、多様な価値観に支えられた教育。それぞれの人間の多種多様な興味を尊重し、それを育てていくような教育。」この点に関しては賛同できる。

ただ、そういった教育を実現するためには教育システムの改革の前に、親(つまり僕の世代の意識)の改革が必要だ。と僕は主張した。問題としている部分に違いこそあれ、この松本氏のエントリは大きな論争を起こし、考えるきっかけを与えたという点で、非常に良いエントリだったのではないかと思う。

そんな、松本氏の主張に真っ向から噛み付いたのが藤沢氏。

中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ


それなりにこの記事の支持者がいることが何より日本の教育の問題点を表していると言える。教育について論じる場合は以下の3点を抑えた上で語るべきだろう。
  1. 人には自分が受けた教育を良い(あるいは悪い)と思い込むスキーマがある。
  2. 知能が発達する時期は人によって異なる
  3. 知能の定義は多様でテストで図れるのはごく一部
少し詳しく説明する。

まず1に関してだが、自分が受けた教育を良いと感じている場合は、その教育を子供にも受けさせようとする傾向があることは知っておいたほうがいい。(悪いと感じている場合は、その逆の教育を受けさせようとする。)田舎の公立学校でのびのび育って良かったと感じている人はその教育がいいと語るだろうし、都会の私立で猛烈な受験を勝ち抜いて、人生うまくいっている人はそれがいいという。教育について考えるときに陥りがちな罠はこれだ。世の中には多様な教育環境があり、時代や場所、人によって最適な教育環境は当然異なる。

2に関してだが、これも大事だ。中学で神童でも大学になると馬鹿になる人はいくらでもいる。スポーツ選手を思い浮かべるとよくわかるが、将来を期待されながら潰れてしまう人もいれば、年齢を経てから実力を伸ばす人もいる。人によって知能が成長する時期は各々異なるのだ。早い段階で選抜を行いそこで将来を決めてしまうことの危険性はここにある。

3に関してはこれまで繰り返し述べてきたことだ。知能は多様であり、テストではかることが出来るのはほんの一部である。

藤沢氏の意見は、1)他の教育の可能性を論じていない。2)知能の発達時期の違いを考慮していない、3)知能の定義を非常に狭い範囲に限定しているという点で、反論のための反論になっている。続きを読む »
8

国がトップダウンで決める教育のあり方では、もう間に合わない

今日はいくつか教育に関しての気になるエントリを見かけた。ひとつは下記。

教育の改革は火急の問題 - 松本徹三

前半部分の日本の塾システムの馬鹿馬鹿しさに関しては、一方的な見解で納得出来るものではないが、後半部分の松本氏の主張には賛同できる。
画一的な価値観ではなく、多様な価値観に支えられた教育。それぞれの人間の多種多様な興味を尊重し、それを育てていくような教育。表面的なものではなく、真に自らが誇れる「実力(競争力)」を身につけられる教育。そういう教育こそを、日本の若者達の為に、我々はこれから作り出していかなければならないのではないでしょうか。
もっとも、上記のような教育を実現するためには、教育システムの改革の前に親の改革が必要だ。(記事中に出てくる夫妻は、中高一貫校以外の選択肢を考えていないのだろうか?)

しかし、多様な価値観が認められ、多種多様な興味が尊重されるようになれば、それは個人が持つポテンシャルを最大限発揮する社会につながると思う。(この点に関しては、もし宜しければ過去エントリ 知能を幅広く捉える をご覧頂きたい。)

もうひとつは、Twitterでkojisato515さんが、大学の分野別品質保証の在り方検討委員会に呼ばれたという話だ。

前述のように、僕は教育に関して多様な選択肢が選べれば良い、と思っているのだが、行政主導のトップダウン形式で大学の学びの品質を定義することは危険を感じる。

現在、ゆとり教育が問題になっているが、ゆとり教育とは第二次ベビーブームの頃の過酷な受験戦争が社会問題化したときに、提唱された。実際に施行されたのは少子化が進み、大学全入時代が始まってからだった。この頃には学生の学力不足が問題にされるようになっていた。

たとえ良い施策であっても、時期を間違えると効果的に機能せず、逆に歪みを作り出す。
そして、政府や行政の意思決定は多くの場合において、市場の調整機能よりも遅く、硬直的だ。
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大競争時代の大学教授:ポール・サミュエルソンに捧ぐ

昨年末、偉大な一人の経済学者が世を去った。その名をポール・サミュエルソンという。

サミュエルソンは、シカゴ大学で学士号を取得し、ハーヴァードで経済学博士号を得た。25歳の時には既に年齢よりも多くの博士論文を出し、その優秀さで知られていたが、ハーヴァードで職を得ることは出来ず(真偽定かではないけれど、当時はユダヤ差別が激しい時代だったらしい)、MITで教鞭をとった。1940年のことだ。

当時、MITは理工系の大学としては既に名が知れ渡っていたが、経済学科ではほとんど知られておらず、ハーヴァードに比べると一段下に見られていた。当時のアイヴィー・リーグの大学はしばしば反ユダヤ的だったそうだが、MITはそういう差別もなく、あらゆる意味でアウトサイダーといっていい大学だった。

天才数学者はこう賭けるでは、MIT時代のサミュエルソン教授を次のように評している。
MITが理工系に焦点を向けていたことは、サミュエルソンの才能にはぴったりだった。サミュエルソンは経済学を数理科学と見ることにした。それは当時としては異例の方向性だった。アダム・スミスから、ジョン・メイナード・ケインズを経て、経済学はほとんど講話で、ハーヴァードでも経済学は講話だった。サミュエルソンはMITで経済学を数学にした。サミュエルソンは、物理学者と同じように微分方程式になじんでいた。その論文は「定理」だらけだった。サミュエルソンは数理と鋭利な機知を組み合わせ、その講義や発表を、偉大で退屈な経済学者の話とは違うものにした。(中略)

MITの経済学科の名声を、ほとんど一人で自分のそびえ立つような高さの水準に上げていた。
サミュエルソンは「経済学」と名づけられた教科書を書き、それは長年のベストセラーとなった。そして1970年にはノーベル経済学賞を受賞し、ノーベル経済学賞はサミュエルソンに賞を与えるために生まれた。とまで言われた。

さて、サミュエルソン評に関しては、多くの方が様々な視点から語られているので僕からの言及はこれぐらいにしておく。経済の専門家から見れば、また違った意見もあることと思う。

僕がこの一文を読んだときに感じたことは、これからの時代、サミュエルソン的な教授が、大学経営のために求められるようになるだろう。ということだ。
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秋田 国際教養大の驚くべき戦略

前回のエントリでは、人口減少時代の大学教育について考察しました。
そんな中、人口減少時代のモデルとも言える活動を展開している大学の記事をみかけたので、紹介します。

〈学長力〉秋田発 世界標準に 国際教養大 中嶋嶺雄学長

よくある大学の戦略や学問のあり方を語るだけの記事であるならば気にもしないのですが、ブームにのって設立された新設大学と違い、しっかりしたコンセプトと戦略を感じたので、ご紹介したいと思います。

国際社会で活躍出来る人物を育てる、というコンセプトのもと、国際教養大では

  • 授業は全て英語
  • TOEFL550取得必須
  • 1年間の留学を義務付ける

以上の方針をとっています。これだけでも十分素晴らしいと思いますが、更に感心したのは教授の選抜方法です。前回のエントリで説明した、教育と研究は違う。ということを十分理解し、教員の選抜を行っているです。以下は、学長の言葉です。

「教員はほとんどが国際公募で、当初20人の募集に400人以上来ました。その中の60人に面接し模擬授業をやってもらったのが非常によかった。経歴だけ見ると、ケンブリッジやオックスフォードで博士号を取った人もいたが、研究と教育はかなり違う。若い人に教養を教えられるかどうかを見ました。
新設大学として、大学が持つ研究の側面を捨て、教育にフォーカスしています。資源に限りがある新設大学としては極めて正しい戦略です。

  • 教職員の任期は3年で固定

そのため、人件費を抑えつつ、若く、優秀な非常勤講師を揃えることも出来ていると思われます。

ユニークで時代に即した教育方法を取り入れることで、高い教育効果を上げていると思われますが、
驚くべきは、これだけではありません。

高い教育効果が就職に大きな影響を与えているのです。
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4

人口減少時代の大学教育はどうなるか

事業戦略を立てる際に、外部環境分析は、真っ先に行う分析です。
中でも、単純ながら効果的に機能し、確実に生じる未来を予測出来るのが人口動態の変化です。

P・F・ドラッカーは、イノベーションのための7つの機会の一つとして人口動態の変化を挙げ、その中で1970年代のアメリカの大学を事例として取り上げています。

1970年当時、アメリカでは、学校の生徒数が、少なくとも10年から15年間は、1960年代の25%から30%減になることが明らかになっていた。つまるところ、1970年に幼稚園児になる子供は1965年以前に生まれていなければならず、しかも少子化傾向が急に変わる様子もなかった。

ところがアメリカの大学の教育学部は、この事実を受け入れようとしなかった。子供の数が年を追うに従って増加することは自然の法則であるとでも考えているかのようだった。そうして彼らは、教育学部の学生の募集に力を入れ、その結果、わずか数年後には卒業生の就職難を招き、教師の賃上げに対する抑制圧力を生み出し、挙句の果てに教育学部の廃止を余儀なくされた。

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専門家たちが、自分たちが自明としていることに合致しない人口構造の変化を認めようとせず、あるいは認めることができないという事実が、起業家に対し、イノベーションの機会をもたらす。しかも、リードタイムは明らかである。すでに変化は起こっている。(イノベーションと起業家精神<上>)

さて、日本は未曾有の少子化に直面しているといいます。このような環境下で日本の大学はどのような取り組みを行うべきか、少し考察してみたいと思います。続きを読む »
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知能を幅広く捉える

つい先日、Twitterで「賢い人ってどういう人?」みたいな議論があった。
議論が面白かったので、僕もちょっと書いてみようと思う。

立て続けに同じ本( 教育×破壊的イノベーション )からの引用で恐縮だが、ハーバード大学の心理学者ハワード・ガードナー氏が提唱されている、多元的知能理論に関して紹介する。ガードナーは「IQ」や「EQ」と呼ばれる狭い範囲の知能の定義を超え知能には8つのタイプがあるということを提唱した。かっこ内はその能力に優れた代表的人物だ。

  1. 言語的知能(ウォルト・ホイットマン)
  2. 論理・数学的知能(アルバート・アインシュタイン)
  3. 空間的知能(フランク・ロイド・ライト)
  4. 運動感覚的知能(マイケル・ジョーダン)
  5. 音楽的知能(ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト)
  6. 対人的知能(マザー・テレサ)
  7. 内省的知能(ジークムント・フロイト)
  8. 博物学的知能(レイチェル・カールソン)

8パターンすべての知能を兼ね備えている人は少なく、多くの人は2~3の秀でた知能を持っている。と、書籍では述べられている。例として、アルファベットの暗記が出来なかった少女が体を使ってアルファベットを表現することで、言語的知能の発達を促し、その分野に関しての知能を開放した様が描かれている。
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日本で理系離れが起きている本当のワケ


学生の理系離れは随分前から言われていたように思うけれど、生活習慣や初等教育の変化(ゆとり教育の導入)の視点から論じられることが多く、僕自身はずっと物足りなさを感じていた。クリステンセン氏の著書「教育×破壊的イノベーション」では、先進国で理系離れが何故生じるか。ということを、簡潔に説明しているので紹介したい。

人事や採用に関わっていらっしゃる方は是非ご一読ください。

日本企業が1970年代と80年代にアメリカの競合企業を追い抜いていた理由として決まって挙げられたのが、日本の人口はアメリカの四割でしかないのに、数学・科学・工学を学ぶ生徒がアメリカの四倍もいるという説だった。

しかし日本が繁栄を遂げると興味深いことが起こった。理工系志望の学生や、理工系の学位を取得する学生の割合が、この20年にわたって低下しているのだ。何故、こんなことが起こっているのだろうか?

~中略~

途上国が製造業を基盤とする経済を発展させるとき、生徒は科学・数学・工学を学ぶことで、貧困からの脱出を保障する大きな見返りを得ることができる。だが同じ国が安定と繁栄を実現すれば、生徒は自分が楽しいと感じ、自発的動機づけの持てる科目を、より自由に学べるようになる。

そんなことから、奇妙な話だが、自発的動機づけをもてるような方法で教えられていない科目にとって、繁栄は敵になることがある。これが技術的優位がまず日本に移り、続いて中国とインドに移っている主な理由なのだ。

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自己紹介
プロジェクトデザイナー。富山県在住。人と組織の問題に興味があります。小説の原稿の断片、日々感じる社会や経済に関する疑問、書評を徒然なるままに。

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