例えば何万人という人間が絡む、戦争や政治の世界では、一人の兵士が果たせる役割などたかが知れている。どんな勇者がいても、一人で戦局を打開することなんて出来やしない。

政治や大企業の中で働いている人の中には戦局を動かすだけの力のない自分の立場を嘆きたくなる人もいるだろう。

一方、そういう厳しい現実があるからこそ、アニメや漫画には、一兵卒の活躍からはじまり英雄譚へとストーリーが昇華する物語が描かれるわけだし、それを読んで僕たちはワクワクする。

戦局を変えた白い悪魔の物語が「ガンダム」なわけで、一隻の潜水艦が国際政治を動かせるかどうか夢想した作品が「沈黙の艦隊」だ。戦場の圧倒的な巨大さと小さな軍隊の頼りなさを描いた物語としては、(マイナーだと思うけれど)PS2の「絢爛舞踏祭」なんかがいい味だしてたと思う。ほんの小さなボタンの掛け違いの連鎖をおこすことが出来れば、銀河に100年の平和をもたらすことが出来るというような、ミクロからマクロへの挑戦という設定は、現実には大変厳しいからこそ、ロマンをかきたてられる。

では、現実世界では、自分という一人の小さな個人が大きな組織を動かすことは出来ないのか。というと、完全に不可能というわけでもなく。

例えばディー・エヌ・エーを例に挙げると、モバゲータウンを開発した一人のエンジニアや、「怪盗ロワイヤル」の開発者なんかは、確かにディー・エヌ・エーの大きな変化を産み出す震源地となったわけだ。

もっとも、じゃあ彼らのようなスーパーな結果を残さねば組織は動かせないのか。というと必ずしもそうではない。彼らを採用してきた採用担当者や、知恵を蓄えてきた開発陣、ここまで企業を存続させてきた営業・マーケティング担当者一人一人が大きな変化を産み出す活動に一役買っているわけで、そう考えると、一人一人の小さな努力や生み出してきたちょっとした「違い」がバタフライ・エフェクトとなって、世界を変える。なんてことが起こりうるのが人生の面白いところじゃないかと思う。

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さて、猛烈に前置きが長くなってしまったけれど、こんなことをふと考えたのは、やはり県の青年議会の活動の影響だろう、と思う。続きを読む »