ちょっと前に下記のような内容をツイートした。すいません、たぶん何か面白くないことでもあったらしく、若干攻撃的なツイートになってしまってますので、何割か差し引いて聞いてやってください。

で、この後に本当の専門家が語らない理由をいくつか挙げた。最初に僕が挙げた理由は稚拙なものだったけれど、@mosa_siruさんや、@asktakaさんからもコメント頂き少し整理することができたので、下記にまとめてみた。

  1. 広く大衆に伝える時間的余裕がない
  2. 広く大衆に伝えるスキルがない
  3. 広く大衆に伝える必要性を感じていない

結果的に、専門家の言論空間やコミュニティーは閉じることになり、専門家は(一部を除いて)語らなくなるのだと思う。あるいは、(かつてそういう経験をした人を何人か知っているが)メディアに出て、本人の意と異なるように編集されたことに憤り、語らなくなったという人もいるかもしれない。

故に、実際にメディアでは専門家というよりも専門家のようなジャーナリストや芸能人(またはブロガー)の声が大きくなる。実際には専門家が保有する知識とそれを広める力は異なるので、ジャーナリストや芸能人の役割は非常に重要なのだが、たまに「おかしいな?」と思って調べてみると全然事実と異なる内容を自信たっぷりに話していてびっくりすることがある。

コンサルタントとかもこの傾向があるので注意した方がいいかもしれない。上海で事業を行っている人(A氏としよう)から聞いた話だが、20年ほど前に中国が市場として注目されはじめたころ、日本でも数本の指に入る経営コンサルタントが大手企業の経営者を連れて、中国視察ツアーに訪れたそうだ。A氏は現地のガイド兼翻訳のような立場でスタッフに加わったそうだが、そのコンサルタントが中国に詳しくもないのに、本で書かれている古い知識や誤った知識をもとにツアーメンバーにレクチャーするのが聞いていて本当に不快だったそうだ。知らず知らずの間にぼくもきっと同じようなことをしてしまっている。

じゃあ専門家が話せばよいか。現場を知っている人が話せばよいか。というとそれもまた問題がある。

専門家が話すと、権威を鵜呑みにして自分の頭で考える事をやめてしまう人が出てくることが問題だろう。現場の人が話すと、現場という言葉を水戸黄門の印籠のように使い、議論と思考をストップさせてしまうことが問題になるだろう。

さて、そんなこんなで、何を言いたかったのか、忘れてしまわないうちに言っておくと、

  • 読者(視聴者)は違和感を持ったら自分で調べて、確認するのが大事。
  • 意見を拾ったり広めたりする側の人は、誤った見解を述べていないか常に自戒が必要。
  • 専門家には語って欲しい。(時間もかかるし、スキルも必要だけれど、これからの時代語るだけのめりっとはあるはず)
ということになるだろうか。

なんかつまらない結論だけど、つまらないことほど大事だったりするんだよな。