昨日、雇用の流動化に関するエントリを書いていて、17世紀の詩人ミルトンの「失楽園」を思い出した。

神話の中で、神に反逆するものは悪魔として忌み嫌われ、罰せられる存在になるけれど、ある宗教の中で神の敵として虐げられた存在を見てみると、もともとは他の文明で神々として敬われていたケースもある。

たとえば、ベルゼブブはカナン地区の土着の神、嵐と慈雨の神バアルを貶めた表現だし、アスタロトもシュメール文明の豊穣の女神イシュタルが語源とされる。サタンも、もとは神の傍らにありて仕える最上級の天使ルシファーだと言われる。

ある宗教の神は、多神教の元では同じく神として崇められ続けることもあるけれど、一神教の元では人心を惑わす悪魔として貶められる。力が強く、戦争で勝った国が負けた国で信じられている神々を悪魔とする。

宗教は政治にも利用される。多民族国家であり、様々な宗教を吸収してきたローマの多神教のもとでは、キリスト教は迫害され続けた。キリスト教のもとでは、神は一人だからだ。しかし、キリスト教の勢力が増えるにつれ、その存在を無視できなくなったローマは、キリスト教をついに国教に定める。そして、反対派をなだめるために、当時軍人を中心に大きな信仰を獲得していたミトラス教の祝日、12月25日ををイエスキリストの誕生日とし、キリスト教の取り込みにかかる。いったん、国教に定められたキリスト教は、それ以外の信仰を異端として弾圧し、他の神々は廃れていったけれど。続きを読む »