まだ不完全なものではあるけれど、リーダーシップというものについて、
自分なりに考えていることが、まとまりつつあるので、何回かに分けて書いてみたい。

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リーダーシップという曖昧な言葉に強烈に惹かれはじめたのは、2008年の秋頃からだったと思う。
そう、その年は、リーマンショックがあった年だ。

僕は当時、東京で企業の採用や人材育成に関する仕事をしていた。
リーマン・ショック後の人事部の課題はもう、判で押したように一様で、どこにいっても、ひとつのことしか言われなかった。

「閉塞した状況を打破できる、リーダーシップのある人材が欲しい。クリエイティビティに溢れる人材が欲しい。」

というものだった。

気持ちはわかる。

ビジネスの先行きが暗くなる中で、閉塞した状況を打破できるだけのリーダーシップがあり、クリエイティビティにあふれた救世主のような人材がいれば、どんなにいいことだろう。

しかし、現実にはそうやって「リーダーシップとクリエイティビティ」にあふれた人材を採用したり、育てたりする施策をとることが出来る会社は皆無だった。口ではそういう救世主のような人材を求めつつ、多くの企業が実際に行うことが出来たのはコスト削減だった。

リーマン・ショック前の10年間で、多くの企業が既に絞れるだけ絞っていたにも関わらず、だ。
1998年から2007年の間、国内企業はトータルで


経常利益を25兆円増やした。(28兆円→53兆円)
一方、人件費は22兆円削減している。(147兆円→125兆円)



この間、労働人口は減っていない。
日本企業は10年間かけて、人に対しての投資を削減し続け、
その上に利益といいう名の砂上の楼閣を立ててきた。

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景気の悪化。
そこを生き延びるために将来の成長余力を失うまで、コスト削減をしなければならない状況。
この閉塞した状況を打破する方法はないか。

ヒントはやはり、閉塞した状況を打破することが出来る、

リーダーシップとクリエイティビティを持った人材

をひとりでも多く見出し、育てることにあるのではないか。

いつしかそう強く思うようになった。
しかし、リーダーシップとは何だろう?
リーダーシップを持った人材はどのように育つのか、育てることが出来るのか。

答えは見えなかった。
当然、顧客である人事部にも自分の考えを伝えることが出来なかった。

当時、書籍に書いてある答えでは満足できなかった。
どれも、複雑すぎる。綺麗すぎる。論理的すぎる。
そんな風に感じた。

リーダーシップは10や20の要素に分解できるようなものだろうか。そうではない気がした。
では、リーダーとしての経験のない学者が分析して書くことが出来るようなしろものだろうか。そうではない気がした。
リーダー達が様々な血を吐くような体験の中で、苦しみながら見出したものではないだろうか。

今必要なのは、理屈で導きだされた答えではない。
分析で導きだされた無難な答えでもない。

唯一自信のある答えが出せるとしたら、自らが体験を持って学んだものだけではないだろうか。
多くのリーダーと出会い、語り、共通の体験をする。
そうしてはじめてリーダーシップというものに関しての理解が深まるような気がする。

そう考えた時から、僕のリーダーシップをめぐる旅は始まったように思う。