随分前の話になるんだけど、若手経営者として(一部の界隈では)有名な人と飲む機会があった。

で、フツーに飲みはじめたんだけど、何故だか急に僕の事業に関してアドバイスしはじめたわけ。
アドバイスだったらいいんだけど、イメージとしては「ダメ出し」というかなんというか。

僕も人間が出来ていたら、「なるほどなるほど勉強になります。」とか言えるんだろうけど、素直にそう言えるほど大人ではなくて、もっというとつまらないプライドみたいなものがあって、「いや、別に頼んでないんですけど。」的なことを言ってしまった。

その後は相互に大人な自分を取り戻し、(形式上)和気あいあいと飲んだのだけれど、僕がくだらない一言を言ってしまったが故に、僕と彼の人生がクロスすることは多分随分先まで無いんだろうな、と思う。

これは直感でしかないんだけど、僕がなんか凄くお金を持ってそうな雰囲気を醸し出していたり、それなりに利用できそうな人間だったとしたら、また彼の態度も違っていたんだろう、と思う。

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さて、以上のような負の感情は、まったくもってつまらない自意識過剰の人間が陥る罠ではあるんですが、多くの人は似たような気持ちをたまに持つことがあるのではないかと思います。(今回のケースで言えば、実際のところ、心の底からの親切心から、僕の事業にアドバイスをくれた可能性もあるし、もっというと僕にハッパをかけるつもりだったのかもしれない。)

でも人は感情の生き物である以上、ちっぽけなプライドは誰しもが持っているわけでして。
まぁ、そういった壁を乗り越えることが成長なんだよ。と言われればそれまでですが、出来ればこの悔しさを自分の成長に活かしたい派でいるわけで。

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既に有名になっている人と話すのは勉強にはなるけれど、自分も人である以上、自分の生き方にダメ出しされるのは結構ムカつく。

「○○と知り合い」と誇らしげに言う人にはたくさんお目にかかるが、やり過ぎてる人を見ると痛々しい。

夢は語るがその実現に向けて何の努力もしていない人を見ると、「それは人に語るための夢なのかな。」と下衆な勘ぐりをしてしまう。

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まぁ、僕より遥かに人間が出来ている、家庭の母とか妻とか、飲み屋のおねーさんとか出来る後輩とかは、「そうですね。○○さんってスゴイですね。」と言いながら話を聞いてくれるわけではあるんですが、でもそれって相手の人間性に甘えているに過ぎないわけですよね。

能力的には非常に高い人がたまに随分幼く感じてしまうのはこういう部分があるからなわけでして。

役割分担と言えばそれまでなんでしょうけど、
心のそこから相手を理解し、尊重するコミュニケーションを心がけたいものだと思います。

それが出来るかどうかはともかくとして。