今年の仕事の締めとして、3社合同の大納会に参加してきました。

本当は、来年のコラボ計画をびしっと作った上で飲み会に突入する予定だったのですが、皆かなりの酒豪ということもあって、17時ぐらいになるともう耐えられなくなり、「後は飲みながら‥」というホストの言葉が出たが最後、明け方3時まで続く大納会の始まりでした。

ホストのご自宅での宴会だったので、ご家族の皆様には大変迷惑をかけてしまったと反省しております。(結局、泊まってしまったし。)

しかし、その分収穫もありまして、本当にいろいろな話をしました。

皆、富山を本拠地として仕事をしているせいか、どうしても話は地域の今後が話題の中心になります。
なかでも印象的だったのが、ホストから教えてもらった大都市の苗床としての地方という考え方でした。

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地方の経済を考えるとき、どうしても避けて通れないのが大都市への人口流出の問題です。
親は莫大な投資をして子を育てます。

育てた子は、成長した後、本来はその投資された分を、自分を産み育ててくれた家族や共同体に還元する役を担うのですが、現代では多くの人が国内外の大都市に働きにでかけ、苗床としての「地方」に還元するという機能を持ちません。機能を持たないどころか、そういう考え、感覚を持たないのが現状です。

僕もまた、そういう考えや感覚を持たない大勢の若者の一人でした。

地方は地方交付税という財源を大都市から分け与えてもらうことが出来ているから、ぎりぎり生きながらえており、ある意味大都市に寄生する存在のように感じていました。

しかし、人的資本という面で見ると、逆に大都市が地方という苗床で育てられた人材をむさぼり食い、肥え太っているとも考えられるのです。

僕は、地方に与えてもらったものを還元するという感覚を持たないまま、この年まで生きてきました。
一方、地方で働く人の中には、国の予算に頼り切り、創意工夫をこらした仕事が出来ていない人や企業が存在することも確かだと思います。歪んだ寄生体質に染まってしまうと、逆に苗床としての機能も衰えてしまうと思います。

どういう形が望ましいのか、本来どうあるべきなのか、僕にはまだ明確な形はみえていませんが、自分が生まれ育った土地に対して何かを還元する。しなければならない理由がある。という気持ちは多くの地方出身者が持つべきではないかと思いました。