小学校や中学校で学んだことの多くは忘れてしまったけれど、誰の心にも忘れられない経験や言葉のひとつやふたつはあるのではないかと思います。
その心に刻み込まれた経験や言葉は自分の人生すら左右しうるとおもうのだけれど、これは「教育」や「学習」に起因するものなのか、生まれ持った性格的な「資質」に起因するものなのか、あるいはその両方なのか、自分にはなんとも判断がつかないものでもあります。
あるいは、その唯一の解決策は多様性という言葉に集約されるのかもしれず、親としては多様な環境に我が子を放り出すのがひとつの解決策となるのかもしれません。しかし、子はどのような環境にいても、そこに多様なものを見つけ敏感に感じ取るのではないかとも思うので、やっぱりよくわからないものでもあります。
----
僕の人生を左右するような思い出の言葉は、幼稚園の年中組(2年目)の時に聞いた、保母さんの呟きです。僕が通っていた幼稚園には「お泊り保育」なるイベントがあって、1年に1回、幼稚園に1泊2日で泊まることになっていました。
僕は昔からこういうイベントが好きだったのですが、カバンの中にタオルが入ってないことに気付きました。荷物は自分とお祖母ちゃんで一緒に用意したのですが、その時僕は、「あー、お祖母ちゃんがタオル入れてくれなかった」と呟いてしまったわけです。
そのときたまたま僕の後ろを通りかかった保母さんが呟いた言葉が頭に残って離れない。
「あー、この子またお祖母ちゃんのせいにしとるわ。」
その時、僕はたまらない恥ずかしさを感じ、人生で何かおきたときに人のせいにするのはヤメよう。と強く心に誓ったような気がします。
----
二つ目に記憶に残っているのは、小学校3年生の時のことです。その頃僕は習字を習っていたのですが(最後まで字はうまくならなかった。)、当時父親がまだ珍しかったパソコンを購入したことがあって、僕はそれが誇らしくて、習字の塾の友達に無邪気に自慢したのです。「俺の父さん、パソコンかったんだぜー。」ぐらいの感じだったと思います。父親の仕事のことも自慢したかもしれません。
それを聞きとがめたのが、習字の先生の助手の方で、何故かそのとき僕はその助手の人に真剣な顔で、「それはあなたが凄いんじゃなくて、あなたのお父さんが凄いの」と言われたのです。
このとき、僕は確かにそのとおりと感じ、これまた猛烈に「恥じた」記憶があります。もしかしたら、家庭環境の厳しい子がその塾にいたのかもしれません。僕は相手に配慮して話さなければならないということをを学び、今後、自分の力で成し遂げたこと以外のことで誇るのはやめることにしました。
実際には、自分の力だけで成し遂げることが出来ることなんて何もないといってもいいぐらいだから、何か人にとって誇らしげに聞こえるようなことを言うときは、慎重に、言葉を選んで話す必要があるということを学んだのかもしれません。
----
その心に刻み込まれた経験や言葉は自分の人生すら左右しうるとおもうのだけれど、これは「教育」や「学習」に起因するものなのか、生まれ持った性格的な「資質」に起因するものなのか、あるいはその両方なのか、自分にはなんとも判断がつかないものでもあります。
あるいは、その唯一の解決策は多様性という言葉に集約されるのかもしれず、親としては多様な環境に我が子を放り出すのがひとつの解決策となるのかもしれません。しかし、子はどのような環境にいても、そこに多様なものを見つけ敏感に感じ取るのではないかとも思うので、やっぱりよくわからないものでもあります。
----
僕の人生を左右するような思い出の言葉は、幼稚園の年中組(2年目)の時に聞いた、保母さんの呟きです。僕が通っていた幼稚園には「お泊り保育」なるイベントがあって、1年に1回、幼稚園に1泊2日で泊まることになっていました。
僕は昔からこういうイベントが好きだったのですが、カバンの中にタオルが入ってないことに気付きました。荷物は自分とお祖母ちゃんで一緒に用意したのですが、その時僕は、「あー、お祖母ちゃんがタオル入れてくれなかった」と呟いてしまったわけです。
そのときたまたま僕の後ろを通りかかった保母さんが呟いた言葉が頭に残って離れない。
「あー、この子またお祖母ちゃんのせいにしとるわ。」
その時、僕はたまらない恥ずかしさを感じ、人生で何かおきたときに人のせいにするのはヤメよう。と強く心に誓ったような気がします。
----
二つ目に記憶に残っているのは、小学校3年生の時のことです。その頃僕は習字を習っていたのですが(最後まで字はうまくならなかった。)、当時父親がまだ珍しかったパソコンを購入したことがあって、僕はそれが誇らしくて、習字の塾の友達に無邪気に自慢したのです。「俺の父さん、パソコンかったんだぜー。」ぐらいの感じだったと思います。父親の仕事のことも自慢したかもしれません。
それを聞きとがめたのが、習字の先生の助手の方で、何故かそのとき僕はその助手の人に真剣な顔で、「それはあなたが凄いんじゃなくて、あなたのお父さんが凄いの」と言われたのです。
このとき、僕は確かにそのとおりと感じ、これまた猛烈に「恥じた」記憶があります。もしかしたら、家庭環境の厳しい子がその塾にいたのかもしれません。僕は相手に配慮して話さなければならないということをを学び、今後、自分の力で成し遂げたこと以外のことで誇るのはやめることにしました。
実際には、自分の力だけで成し遂げることが出来ることなんて何もないといってもいいぐらいだから、何か人にとって誇らしげに聞こえるようなことを言うときは、慎重に、言葉を選んで話す必要があるということを学んだのかもしれません。
----
最後は許された記憶です。小学校5年生の時に、友人と些細な喧嘩をして、それが騒動になったことがあります。喧嘩がエスカレートして、僕は友人の椅子に絵の具をぶちまけたのです。友人が仕返しをしてこないので、僕は心の中で一方的に勝利宣言をしていたわけなのですが、友人はより狡猾な罠をしかけていました、靴の中に絵の具をぶちまけていたのです。僕はそのことに気づかずに靴を履き、靴と靴下がだいなしになりました。
家にかえってこっそりと靴と靴下を洗っていたのだけれど、小学校程度の知恵でそれがバレないわけもなく、あっという間に祖父母にバレました。で、誰にそういうことをやられたのか祖父母に詰問されたのですが、僕は友人と喧嘩してお互い様だったので、かたくなに口をつぐんでいたところ、祖母が業を煮やして学校の担任に電話したのだ。
まぁ、それからは、なんだか騒動になって、誰が僕のくつに絵の具を入れたかの犯人探しみたいなことが、クラスを挙げて行われたわけです。僕と友人はとうの昔に仲直りしているわけで、本当にやめて欲しかったんだけど、僕の友人は実に潔いオトコだったので、あっさり「僕がやりました」といって犯人は見つかったわけです。で、まぁ、その後担任は計算してなのか、怒りの矛先を向ける先がなくなってなのかわからないけれど、他にも同様のことをした人はいないかといわれ、まぁぼくも同じようなことはしているので、手を挙げたわけです。(今から思うに、この担任は相当素晴らしい先生だったので、やはり計算して聞いたのではないかと思う。)
まぁ、それからの担任の呆れよう、怒りようは凄かったね。
「お前もやっとるんじゃないか。お互いさまじゃないか。あほらしい。」
みたいな感じなわけで、まぁ、ぼくもそれは仰る通りと思うしかなかったわけです。
というわけで、僕は親に事情説明をするよう担任から命令を受け、「悪いのは僕でした。」と書いて親に、サインをもらってくるように言われたわけです。
僕はこれがいやでいやでしょうがなくて、どうしても親に話せなくて、結局自分で筆跡を真似てサインして担任に見せたわけです。
というか、バレないはずがないし、恥の上塗りにしかならないんだけど、その担任は笑って不問にしてくれたわけです。
僕はこのときに、本当に叱ることと、許すことを学んだような気がするのです。
----
さて、こういった僕自身の人生を形作ることとなった思い出みたいなものは、それがいいものであれ、悪いものであれ、多くの人が経験していることなのではないかと思いますが、こういった学びや経験をどのように表現すればいいのか。なんとも語る言葉を持ちません。
もし、自分が子に自分が学んだこれらの経験を伝えるとしたら、学校や環境と言った偶然に頼るのではなく、自分の言葉で子供にしっかりと向き合い伝えなければいけないのだろうと思います。
そして、学校や環境からはまた、子は自分が感じ取れなかったいろいろなものを学んでくれればいいなと思います。
家にかえってこっそりと靴と靴下を洗っていたのだけれど、小学校程度の知恵でそれがバレないわけもなく、あっという間に祖父母にバレました。で、誰にそういうことをやられたのか祖父母に詰問されたのですが、僕は友人と喧嘩してお互い様だったので、かたくなに口をつぐんでいたところ、祖母が業を煮やして学校の担任に電話したのだ。
まぁ、それからは、なんだか騒動になって、誰が僕のくつに絵の具を入れたかの犯人探しみたいなことが、クラスを挙げて行われたわけです。僕と友人はとうの昔に仲直りしているわけで、本当にやめて欲しかったんだけど、僕の友人は実に潔いオトコだったので、あっさり「僕がやりました」といって犯人は見つかったわけです。で、まぁ、その後担任は計算してなのか、怒りの矛先を向ける先がなくなってなのかわからないけれど、他にも同様のことをした人はいないかといわれ、まぁぼくも同じようなことはしているので、手を挙げたわけです。(今から思うに、この担任は相当素晴らしい先生だったので、やはり計算して聞いたのではないかと思う。)
まぁ、それからの担任の呆れよう、怒りようは凄かったね。
「お前もやっとるんじゃないか。お互いさまじゃないか。あほらしい。」
みたいな感じなわけで、まぁ、ぼくもそれは仰る通りと思うしかなかったわけです。
というわけで、僕は親に事情説明をするよう担任から命令を受け、「悪いのは僕でした。」と書いて親に、サインをもらってくるように言われたわけです。
僕はこれがいやでいやでしょうがなくて、どうしても親に話せなくて、結局自分で筆跡を真似てサインして担任に見せたわけです。
というか、バレないはずがないし、恥の上塗りにしかならないんだけど、その担任は笑って不問にしてくれたわけです。
僕はこのときに、本当に叱ることと、許すことを学んだような気がするのです。
----
さて、こういった僕自身の人生を形作ることとなった思い出みたいなものは、それがいいものであれ、悪いものであれ、多くの人が経験していることなのではないかと思いますが、こういった学びや経験をどのように表現すればいいのか。なんとも語る言葉を持ちません。
もし、自分が子に自分が学んだこれらの経験を伝えるとしたら、学校や環境と言った偶然に頼るのではなく、自分の言葉で子供にしっかりと向き合い伝えなければいけないのだろうと思います。
そして、学校や環境からはまた、子は自分が感じ取れなかったいろいろなものを学んでくれればいいなと思います。
Comment
今日のエントリ、何か泣けました。。。
やっぱり人間って、過去の積み重ねから今があるわけで、自分の価値観や人格が形成される瞬間って、楽しい経験や思い出はもちろんのこと、「意外と切ない経験や悲しい体験」からの方が多かったりすると思ってます。
実は僕は、そういった過去の失敗だとか、自分の人格を形成するのに大きなきっかけとなった出来事だとか、そういった話をするのが大好きです。変態っけがあるかもしれませんが、ドキドキしちゃうくらいです。(JWでも一部の人はそのkomidoriの変態さを知っている人がいると思いますが・・・。)
そういった意味でも、今日のエントリも楽しませて頂きました。ありがとうございました。
もちろん、嬉しい体験や成功体験から学ぶことも多いのですが、一方でそれ以外から学ぶこともやっぱり多いですよね。仕組みやシステムや環境では説明のつかない何かが、人生にはあるような気がしてなりません。
コメントする