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就職せずに起業して、成功するために必要なこと その2
就職せずに起業して、成功するために必要なこと その3
就職せずに起業して、成功するために必要なこと その4(仮)
過去3回に渡って書いてきたテーマ「就職せずに起業して、成功するために必要なこと」今日は、その4(仮)を書こうと思う。
起業家が事業を立ち上げ、成功するにあたって最後に必要となる資質は何か。僕は長らくその答えを探し求め、仮説に過ぎないが、数年前にその答えといえるようなものに出会った。それは、倫理観だ。
聖人のような経営者もいれば、清濁併せのみ偉大な業績を残してきた経営者もいる。感覚的にいうと、後者のほうが多いような気もする。経営者として成功するにあたって、倫理観はそんなに重要ではないのではないか。と感じることもある。
しかし、情報公開と文明化が進むに従って、経営者が確たる倫理観を持つことの重要性は増し続けているように思うのだ。
起業家として、そこそこ成功をおさめるだけであれば、倫理観はそこまで重要でないかもしれない。
しかし、事業の成功という枠を超えて、世界に影響を与えるような大成功をおさめるには、また、人生を満足いくものにするためには、倫理観は何より重要になってくると思う。
少しスケールの違う話をしたい。あえて企業名は伏せさせて頂くが、今から8~9年ほど前に、ある上場企業の新入生歓迎会に参加させてもらったことがある。駆け出しのコンサルタントだった私は他の会社の人事・組織や風土を学ばせてもらいたかったからだ。
まぁ、新入生歓迎会らしく、いろいろためになる話があって、それから懇親会に突入するわけだが、そこで僕は驚愕の光景を見てしまった。
30前後の社内では有能と言われるマネジャーが、新入社員の女性に社長の両隣に座るように指示を出したのだ。どうやら、それが毎年恒例の文化となっているらしい。
その話を聞いた数人の男女新入社員が怪訝な顔をしたが、結局そのマネジャーの誘導に従い、女性社員は社長の隣に座ることになった。
衝撃だった。
自主的に座る席を決めるわけでもなく、何らかの基準に従って席が決まるわけでもなく、女性二人だけ、社長の隣に座らされ、後の社員は自由に座る。それが、新入社員歓迎会で行われることのおかしさに、新入社員だけが気づいているという異常な光景。(同期だけの飲み会や、プライベートな間柄でこういったことが行われるのであれば、僕だってそこまで気にしない。)
僕はその瞬間、会社の将来に不安なものを感じたが、事実数年後にその会社は業績悪化を受け、経営者は全員入れ替わることになる。
この会社の経営者及び、組織風土にはいくつかの問題点がある。
- 男女を対等に扱っていないこと
- 新入社員を一人前の社員として扱っていないこと
- マネジャーが経営者の意向を伺って仕事をし、おかしな慣習に疑念を抱いていないこと
- 倫理観を大切にする男性社員、女性社員のやる気を削ぐこと
- 組織の上下関係が明確で、自由に意見が言えない環境にあること
- 経営者のもとにイエスマンが集まるようになること
- 男女の問題に鈍感な会社は将来法的な問題を犯すリスクが高まること
以上だ。たったひとつの事実をもって、このように企業の組織風土を断定してしまうのはいかがなものかと、自分でも思うが、瞬間の予感が余りにも的中したので、あえて書かせて頂いた。
悪しき組織風土は、静かに企業に忍び寄り、いつの間にかそれを当然のものとして社内に根付かせてしまう。今取り上げたのは、ジェンダーの問題だが、取引や商慣習の問題でも、おかしなことをやっている企業はたくさんある。そして、そういった会社はいつしか成長が鈍化し、潰れてしまう。
実際に法的な問題を起こして倒産に追い込まれるケースもある。
しかし、実際に法的な問題を起こして摘発されるのはほんのごく一部(一部には捜査側に問題がある事件もあるかもしれない)で、倫理観に欠ける経営者が代表を務めていたり、そういった悪しき風土が状態化している組織はむしろ内部から崩壊するケースのほうが圧倒的に多い。
インターネットやメディアの発達によって悪しき情報は牧歌的、封建的、差別的だった過去の時代よりも遥かに多く、早く人々のもとに届くようになった。内部を崩壊させるような悪しき情報は容易く外に漏れ、崩壊のスピードを助長する。
一方、多くの起業家は(そして、おそらくは政治家)、様々な欲を力にかえて、成功への階段を駆け上がるのでは?という意見もあることだろう。僕はそれは決して問題のあることではないと思う。確かに欲はエネルギーになる。しかし、欲と倫理観は併存できるものでもある。
誠実な無能よりも、汚れているが有能という人物を求める声もあるだろう。
しかし、誠実で有能という人物を、我々は求めてはならないのか?
そうあるべく努力することは意味のないことか?
成功のために踏み外してはならない一線を守るための指針を与えてくれるもの。
それが倫理観ではないだろうか。
この意見にはまだ確信が持てていない。
事実や証拠の裏付けも足りない。感覚に頼って論じていることは否めない。
あるいは、こうあって欲しい。という自分自身の願いで書いた。
そういう意味では、偏った見方をしているエントリだ。
自分への戒めの意味も込めて書いた。
経験を積み、自分なりの答えが見えたら、このテーマに関しては改めて書いてみようと思う。
Comment
また、BOPビジネスのように多大なポテンシャルと莫大な影響のあるものにも当てはまりますよね。数十億単位で消費者が増えるということは、経済的にも成功するビジネスになる可能性はあると思いますが、資源の消費、自然の破壊といったインパクトも絶大です。身近なところでは中国の化粧品ビジネスの市場規模が1億人(だったかな?)とありましたが、そういう局面でも倫理は問われるべきだと思いますね。
健全な日本人に限って言えば、ビジネスチャンスに対する挑戦なら何でもいいという時代でもないと思います。
ただ、生存のための必須要件が異なる環境ならば求められる倫理観も違ってくると思います。「カルネアデスの板」に近い状況かな。
「真摯さを定義することは難しい。しかし真摯さの欠如は、マネジメントの地位にあることを不適とするほどに重大である。」
ドラッカーのいう真摯さが、僕の言う倫理観に当てはまるのだと思います。一方で、ドラッカーすら定義することは難しい。といっているのだから、これはまさに一生を通じて考え続けなければいけない問題だろうとも思います。
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