事業戦略を立てる際に、外部環境分析は、真っ先に行う分析です。
中でも、単純ながら効果的に機能し、確実に生じる未来を予測出来るのが人口動態の変化です。

P・F・ドラッカーは、イノベーションのための7つの機会の一つとして人口動態の変化を挙げ、その中で1970年代のアメリカの大学を事例として取り上げています。

1970年当時、アメリカでは、学校の生徒数が、少なくとも10年から15年間は、1960年代の25%から30%減になることが明らかになっていた。つまるところ、1970年に幼稚園児になる子供は1965年以前に生まれていなければならず、しかも少子化傾向が急に変わる様子もなかった。

ところがアメリカの大学の教育学部は、この事実を受け入れようとしなかった。子供の数が年を追うに従って増加することは自然の法則であるとでも考えているかのようだった。そうして彼らは、教育学部の学生の募集に力を入れ、その結果、わずか数年後には卒業生の就職難を招き、教師の賃上げに対する抑制圧力を生み出し、挙句の果てに教育学部の廃止を余儀なくされた。

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専門家たちが、自分たちが自明としていることに合致しない人口構造の変化を認めようとせず、あるいは認めることができないという事実が、起業家に対し、イノベーションの機会をもたらす。しかも、リードタイムは明らかである。すでに変化は起こっている。(イノベーションと起業家精神<上>)

さて、日本は未曾有の少子化に直面しているといいます。このような環境下で日本の大学はどのような取り組みを行うべきか、少し考察してみたいと思います。
日本は1975年を境に、合計特殊出生率が2を下回り、人口減少時代に入りました。以降、先進国でも他に類をみないスピードで少子化は進んでいます。

しかし、大学の入学者数自体は、進学率の向上を背景に増え続け、現在は61万人前後でピークを迎えています。(グラフ:文部科学省 学校基本調査 高等教育機関統計表より作成)

大学入学者数

人口減少時代に入ったのが1975年であれば、その年に生まれた人が大学入学のタイミングを迎える1993年以降は入学者数の減少が起きてもいいはずですが、傾向としては、依然増加傾向にあります。

1980年に41万2000人だった入学者数は、人口減少時代に生まれた学生が入学するタイミングになっても増え続け、2002年に61万人でいったんピークを迎えたあと、微増・微減を繰り返す小康状態に入っています。

参考までに、

2007年 : 613,613人
2008年 : 607,159人
2009年 : 608,730人

です。

現在は、大学への入学希望者が大学の定員数を下回る、「大学全入時代」となっています。選ばなければ、大学には入れる。という状況です。私立大学の収入を見ると納付金(授業料や受験料)が収入の8割近くを占めますから、大学の経営としては短期的には入り口戦略をしっかりすれば、存続は出来ることになります。(※グラフの出展は「今日の私学財政 平成19年度版」より2006年のデータをもとに作成)

私立大学 収入構造
入り口戦略とは何か、というと学生を集める戦略です。多くの大学が生き残りをかけ、様々な新設学部をつくってきました。学部としての歴史や実績がないものですから、目新しさやいかに時代のニーズを捉えているかが鍵になります。海外からの留学生を積極的に受け入れることも、ひとつの方法です。

しかし、現在のように就職希望者のうち6割強しか内定をもらえない状況では、学部4年間での教育効果が重要になってきます。いよいよ本格的に大学が生き残りをかけてサバイバルする時代がきたのです。大学の目的は教育ではなくて研究だという意見も一理ありますが、大学を出た学生の多くが就職という道を選ぶ以上、就職し、その後活躍するための準備期間としての大学の役割はますます大きくなっています。

多くの大学は出口戦略に力を入れ始めています。面接対策や筆記試験対策、関係のある企業に学生を推薦するなどの活動をキャリアセンターを通じ行うことで、就職率を高める取り組みです。

これは短期的には効果をもたらすのですが、長期的には
  • 就職するだけでなく、希望する条件で就職出来るかどうか
  • 就職先で、満足行く業績を残したかどうか
といった点が重要になります。いずれも個人の本質的な能力に関わる部分です。だからこそ、教育効果が重要になってくるのです。

自分自身の能力を高めるために、大学での教育があまり寄与しなかったとすれば、就職率はゆっくりと下がり、入学希望者も減り、教育効果が低下し、いつしか大学も廃業を余儀なくされてしまうことでしょう。

大学の教育効果が、もし十分高くないとしたら、原因は次のようなところにあると思われます。
  1. 高校と大学の学習スタイルの違い
  2. 基礎的な学力の不足
  3. 大教室での講義
  4. 講義選択の硬直性

1.高校と大学の学習スタイルの違いに関してですが、高校までは、問いと回答が与えられる学習方法が中心でしょう。それに比べて大学はやはり自ら問いをたて、調べ、議論しなければ学びが得られない場所です。その違いにいちはやく気づくことが出来た学生は有意義な学びの機会を得られ、気付かなかった学生は、講義に面白みを感じれないまま、4年間が過ぎてしまうかもしれません。これを防ぐために、多くの大学で哲学(思考法)に関する講義を必修に近い形にすべきではないかと考えます。国内でいうと、国際基督教大学が1年次の必修科目にクリティカル・シンキングがあると聞きますが、他の大学でも、導入を検討すべきと思います。
(余談ですが、昨日の龍馬伝で、龍馬が「目くそは何故、目尻ではなくて目頭から出るのか」という問いを出していました。これは、原作者が意図的に、当たり前と思っていることに問いをたて考える姿勢がこれからの時代、大切である。ということを視聴者に伝えるためのメタファーであり、伏線でしょう。)


2.基礎的な学力の不足。理工系の大学教授に話を伺ったときに返ってきた答えです。(経済学部の教授等に話を聞いても同様の答えが返ってくるかもしれません。)「大学生なのに、微分・積分から教えなくてはいけない。これでは研究など出来ようもない。」 とのことです。受験方法も多様化していますので、受験方式や選択科目によって、補習講義的なものがあっても良いのではないかと思います。海外に留学した際に、語学に難のある人は語学の補習授業をとるように、ですね。


3.大教室での講義。大学での講義が問いをたて、調べ、議論することにあるとしたら、大教室での講義は研究成果の発表などを除いてほとんど意味がないのではないかと思います。これは、
  • 学生の数が多い方が経営的には望ましいが、少ない方が質の高い教育が出来る。
  • 人気の講義は参加者が多くなり大教室化していく。
  • 研究能力と教育能力は異なる能力である。
といったジレンマから生じていると思われます。これは、経済学101:フルタイム教授の減少で述べられているように基礎的な学問に関しては多数の能力に秀でた非常勤講師を雇うことによって解決できると思われます。基礎的な学問に関しては、民間で成果を残している信頼できる非常勤講師を雇ったほうが、教育効果は高まるのではないかと思います。


4.講義選択の硬直性。僕自身はあまり感じたことが無かったのですが、大学によっては他学部の講義を自由に選択出来ないケースもあるそうです。定員の問題が大きいのだと思いますが、これも非常勤講師を増やすことによってある程度解決出来るのではないかと思います。人気のある学問はその道に秀でた非常勤講師を増やしていけば良いのだと思います。



以上、少子化の時代に大学が生き残るために取り組むべきことに関して考察してきましたが、まとめると、
  • 必修科目の設計
  • 補修講義の用意
  • 非常勤講師の増加
  • 選択科目の自由度の増加
という結論になるのではないかと思います。実際には選択科目の自由度を高めるには文部科学省からの指導などもあると思いますので、なかなか難しいと思います。

しかし、30~40年前は思考力や学習意欲に秀でた学生達が集まる場であった大学も、現在では一般的な教育機関となり、専門教育の場は、大学院に移っています。

だからこそ、現実に即した改革を大学側が率先して行い、より高い教育・研究を実現し、ひとりひとりの能力のベースアップが実現されればいいのではないかと思うのです。必要なことは過去を懐かしみ、時計の針を止めたり、逆に回す努力をすることではなく、現代の時代の波の流れに応じた改革だと思うのです。



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