アゴラ : 人口の都市集中が必要だ - 池田信夫

人口の都市集中が必要だ という意見がある。
地方にはロクな仕事がなく、バラマキをしても生産性が低いので、余計な補助金を減らして、生産性の高い都市へ労働供給せよ。という意見だ。
これはもっともな意見だが、僕自身はこれらの意見とは逆行して、1年半以上前から実家のある富山に帰ってきて仕事をしている。生まれ育った土地を愛する気持ちももちろんあるけれど、富山で生活することに十分なメリットを感じたからだ。人によっては、都会を離れ地方で暮らしたほうが居心地よく生活出来る人も多いのではないかと思う。その点に関して少し僕の見解を述べたい。

地方での生活を困難にしている要因は主に次の4点と考えられる。
  1. 仕事の問題
  2. 友人の問題
  3. 娯楽の問題
  4. 教育の問題

仕事に関しては、都市よりも求人が少ない。専門職に関してはなおさらだ。また、職を辞めることによる負のシグナルは狭い社会ゆえ、都市以上に早く伝わる。故に、雇用の流動性は都市よりもさらに低い。

友人に関してだが、学生時代に地方から大都市に出てきた人、あるいは都会で一度職を得た人は、都市での人間関係にロックされる。友人や知り合いが多い(そして異性との出会いも多いだろう)から、都市を離れ地方に戻ることに不安を感じる人も多いだろう。これは、中学や高校を地方で暮らした人であれば地元の友人がいるため、友人の問題は多少緩和されるが、まったく見ず知らずの地方にいくとなるとハードルはとても高いものになる。

娯楽の問題は、テーマパークにしても、買い物にしても一定以上の集客が見込める地域でないと成り立たないために起こる問題だ。地方から都市のイベントやテーマパークに行ける日はまとまった休みが取れる連休になりがちで、行っても超満員で残念な思いをすることも多い。話題のお店にふらっと足を運ぶということも難しい。

教育の問題は、地方で生まれ育ち、高校までずっと公立だった私は不便と感じたことはないが、都市の高度な教育環境のもとで育ってきた人にとっては、地方の学校で十分な教育が受けられるのか。という不安はあるだろう。僕自身は不満に思ったことはないが、もし都市で最高レベルの教育を受けていたら、もう少しすごかったのだろうか。と夢想することはある。でも対して変わらなかったような気もするし、中学から受験するのは嫌だなとも思うので、結局あまり変わらない人生を送っていたのではないだろうか。

まぁ、このようにして、地方で生活をしていくというのはなかなか不便で不安なものだけれど、メリットがないわけでもない。いや、むしろメリットを享受出来る人は積極的に利用すればいいのではないか。と思う。


地方で生活することのメリットは、まずなんといっても生活コストが安く住む。ということだ。家賃は比べものにならないし、食料品などの物価も安い。都市では一人暮らしで月の収入が20万円だと生きていくだけでやっとだと思うが、地方では余裕のある暮らしができる。(ただし、車は必要になる。駐車場つきの住まいがほとんどだろうが。)
実家が一戸建てであれば、両親と住むとさらに生活コストは安くなる。家賃はかからないし、小さなお子さんのいる家庭であれば、忙しい時は両親に子供の面倒を見てもらえたりするので、時間的な余裕もできる。妻が夫の家庭で過ごすのはやはり精神的な負荷もあるだろうから、できれば半年ずつ、夫の家で暮らしたり、妻の家で暮らしたりすればいいと思う。子どもが出来るまでは、夫が妻の家で過ごすとか。まぁ、両親と暮らすのはこれは相性もあるだから個々に判断すべきことだけど、いざという時に子供を任せられる両親がいるのはすごく助かるし、教育にもいいのではないだろうか。(僕の両親は共働きだったので、祖父母との思い出がすごく強い。)

仕事の問題に関しては、インターネットの発展によって随分環境が変わってきた。うまく仕組みをつくることができれば、収入を減らさずにより多くの自分の時間を確保できる。僕が提案するのは、
  • 都市の仕事を地方に持ってくる。
  • ネットで完結する仕事を自分で手がける。
という方法だ。僕自身実践していてよくわかることだが、ネットに繋がる環境であれば、ほとんどの仕事ができるような環境になった。Skypeをつなげれば、会議だって違和感がないことも多い。職業にもよるけれど、僕みたいに企画とモノを書くことを仕事の柱にしている人であれば、自宅でも違和感なく働ける。毎日の2,3時間の通勤時間を短縮すると生活はやたら豊かになる。都市で仕事を行い技術に自信のある人であれば、都市の仕事を地方に持ってくるということも可能じゃないだろうか。実際に、首都圏のベンチャー企業では、コールセンターや開発拠点を地方に移す動きが活発だ。コールセンターは労働コストの削減の意味合いが強いが、開発拠点に関してはコスト削減以上に生産性を高めるなどのメリットもありそうだ。

娯楽の問題はなかなか難しい、買い物であればほとんどがネットで完結するようになったので、ほとんど困らない。というか全く困らない。テーマパークやミュージアムはさすがに地方にはないので、交通費をかけて都会にいくしかないかな。とは思う。そこは残念だ。

ただ、一方で、地方でしかできない遊びもたくさんある。自然の中で遊ぶことだ。登山・ダイビング・釣り・サイクリング・スキー・サーフィンといった、自然が相手のレジャーは地方のほうが取り組みやすい。友人もすぐに見つかる。自然を相手に遊ぶことが好きな人であれば、地方暮らしを強烈に進めたい。

友人の問題に関して更に述べると、都市にいたことがあれば、都市の友人と地方の友人とダブルで持てて意外と幸せだ。学生時代の友人といつでも気軽に会えるかというとそういうことは出来ないが、そもそもある程度年をとってくると、忙しくなってくるので親しい友達とであっても、仕事上の付き合いがなければ、年に数回会えればいいほうではなかろうか。出張などをしたときに積極的に会うようになるし、ネットでのコンタクトは毎日のようにできる。なので、地方にいても都市にいても実はそんなに変わらない。ネット中心での仕事になると、ネット上での知人も増えるので交友関係は更に広がる。

教育の問題はどうだろうか。僕自身は不便を感じたことはないし、地方のトップクラスの公立・私立であれば毎年何人も東大にだっていくだろうから、まぁいいのかな。とは思う。公立校の平均的なクオリティは都市部よりも上だと思うし、幼稚園や保育所の定員だって十分だ。語学教育などもネットラーニング等で対応できる。テクノロジーの進歩がある程度首都圏と地方の差を埋めると思うのだが、楽観的に過ぎるだろうか。

さて、僕自身の結論だが、政治が関与して、無理に地方を元気にする必要はない。

地方にはそれぞれの地方が持つ魅力があるし、テクノロジーが進歩し、雇用が流動化し、満員電車に揺られオフィスに出社するなどの既存の概念から自然と脱することができるようになれば、都市から地方への人口移動も起こりうる。
また、都市から地方への人口移動が始まれば、少子化対策にも効果的だと思う。今、都市では子どもが幼い時期の子育て環境が厳しすぎる。(村上龍氏が希望の国のエクソダスで若者の北海道への一斉移住をフィクションとしてまとめたが、非現実的とはいえ提案としては面白い。地方のメリットに目をつけた例だろう。)

政治家が地方にバラマキをするのは、選挙で勝つための政治パフォーマンスなのだから、問題だ。選挙改革も必要かもしれない。けれど、利益誘導を期待する人々は少なくなっているように感じる。(政権交代が起きたのは、自民党の利権をベースにした政治に地方の人も嫌気が指していることを示している。)地方のことも大事だが、それ以上に国に対してしっかり意見をいってくれ。というのが本音じゃないだろうか。

テクノロジーの進歩とインフラの整備だけは切に願う。
離島に郵便局はなくていいが、光ファイバーが欲しい。
そんな時代が迫ってきているような気がする。


※明確に定義されていないが、日本の都市とは東京と大阪を指すということで良いだろう。首都圏人口は3500万人でNYを抑えて世界一。関西圏人口は、1800万人で世界で9位だ。この2大都市に比べると、国内の他の都市はすべて地方といって差し支えないだろう。名古屋も入るかもしれない。地区の人口は900万人で世界24位だ。

※池田氏の記事中のグラフに関しては、出所は増田悦佐『高度経済成長は復活できる』とのこと。ただ、このグラフを持って、都市へ人口を集中させよ。というのは少々強引だと思う。各都市が養える人口にはキャップがあるはずだし、キャップを超えると逆に不満が多くなる。(もちろんインフラ整備で対応出来る部分も多いが。)また、都市への人口流入が止まったら経済成長もストップしてしまうとしたら、経済発展を人口増加ありきで考えなければならなくなる(今の日本でそれは難しい)。ただ、増田氏の本を読んでいないので、僕のこの疑問は不勉強で的外れなだけかもしれない。