僕は仕事がら、経営者にインタビューをすることが多い。経営者にインタビューし、それを適当に文字に起こし、ゴーストライターとして、ありがちな成功法則のまとめ本や、ビジネス雑誌に1ページあたりいくらという値段で買い上げてもらうのだ。

2ページの原稿を書くことができれば、1週間は暮らせるし、もし運よく3ページで採用になったら好きなバーに飲みに行くことだってできる。「将来は見えないけれど、悪くない仕事だ。」自分に言い聞かせる。言い聞かせた後、言い直す。「悪くない仕事だ。」このご時勢、仕事があるだけでも感謝しなければ。

インタビューというと、宣伝も兼ねて引き受けてくれる社長が多い。癖のある社長もいれば、正直電話するのが嫌になるような高慢な秘書もいるけれど、社長自身はおおむねいい人だ。秘書はわからない。秘書には嫌いな人が多い。自分で判断する頭も持たないくせに、「自分は秘書なのよ!」って感じでお高くとまっている。こういう人に限って権力者の前では媚をうったりもする。もっともそれは僕のコンプレックスがそう感じさせるだけなのかもしれないけれど。僕は不必要なほど、プライドが高い。プライドは邪魔だ。ライターとして一人で働き始めてから、何度この言葉を自分に言い聞かせたことか。

今日は一風変わった経営者の話をしたい。100人以上インタビューしてきた人の中で一番印象に残った方の話だ。しかし、ビジネス雑誌に送る原稿ではこの部分は省いた。記事のコンセプトに合致しなかったからかもしれないけれど、もう少しプライベートな場で公開したかっただけかもしれない。

その社長はITの分野で起業して30代にしてひと財産を築きあげた人だ。インターネットのあるサービス分野でNo.1のシェアを獲得している。仮にその人をN氏としよう。今日はその人の話をしたいと思う。

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「fukui君は教育にも興味があるとのことだったね。」
「はい。たまにその分野でもコラムなどを新聞などに寄稿しています。本当にささやかなものですが。」
まぁ、客観的に見ても言い過ぎだろう。新聞の読者投稿欄に何回か取り上げられたに過ぎない。

「成功体験というほどのものではないけれど、僕に強烈な印象を残した小学校の先生がいるんだ。ちょっとインタビューの趣旨とはずれるけれど、その話をしてもいいだろうか。」
「ええ、もちろん。嬉しいです。」
N氏は少し微笑み、話し始めた。

「僕の父親は土建屋の社長をしていてね。小学校の頃はまぁ、それなりに羽振りも良くて、家にパソコンも3台ほどあったんだ。今じゃ、パソコンなんて数万も出せばびっくりするぐらい高性能なものが買えるし、データ通信サービスのおまけとして100円で提供している会社だってある。でもとにかく、その当時の僕にとってはちょっとした自慢だった。パソコンっていうとちょっと知的な印象を受けたしね。」

「ある日のこと、教室で友達と話していた頃のことだ。どんな文脈で話をしていたかは忘れてしまったんだけれど、とにかく、僕は『俺の父ちゃん、パソコン3台持っているんだぜー。凄いだろ。』って友達に話していたんだ。」
30代後半の割には落ち着きと風格が漂い、真摯な印象を受ける方だが、やはり子供のころは無邪気で、多少ガキ大将的なところもあったのだろう。僕はそう想像する。少年時代の元気で、自信たっぷりのN氏を想像してみる。

「まぁ、地方の小さな公立小学校だからね。そんなことでも自慢になったんだろうね。」
「えぇ、昔はパソコンもびっくりするぐらいの高級品だったと聞いています。」

「客観的に見たら、小さな小学生の無邪気な父親自慢に、見えなくはないと思うんだ。」
「そう思います。」僕は答える。本当にそう思う。かわいいものじゃないか。田舎の小学校で、パソコンなんてまだ誰も持ってない時代に、使い方もわからないけれど持っていることを自慢する。別におかしくない、普通の感情だと思う。

「その時に、その話を聞いていた担任の先生に言われたんだな。正確に言うと、隣のクラスの担任なのだけれど、まぁ、小さな小学校なのでよく知っている先生だ。」
N氏は少し言葉を休める。過去の記憶を思い出しているかのようだ。誰かに話すことで楽になることもある。それが僕でいいのか。という疑問はおおいに残るが。N氏は窓の外を少しだけ見る。高層ビルの30階だ。絶景が広がっている。

「先生はこういったんだ。『N君。それはあなたが偉いんじゃなくて、お父さんが偉いの。』その一言が僕を今まで走らせ、今の僕をつくってきたのだと思う。うまく伝えられないんだけど。」
僕は少しだけ、N氏の言葉の意味を考える。父親の力ではなく、自分の力をつけようと感じた。ということだろうか。それとも、その先生から何か侮辱に似たようなものを感じて、見返してやろうと思ったってことか。

「それは…。自分自身の力を磨こうと感じた。」ということでしょうか。
「それもあるけど、それだけじゃない。僕はひどく恥じたんだ。知らず知らずのうちに、自分の実力ではなくて、他人の実力で勝負し、それを自慢していたことに。そして、周囲の人に対して配慮のない発言をしていた僕の鈍感さに。」

「でも、誰にでも同じような経験があるのではないでしょうか。」
「ただ、もし僕が話していた子供たちの中に、父親をなくしてしまっている人がいたら、僕の言葉をどう感じただろうか。あるいは、出張や出稼ぎで普段父親がいない家の子がいたとしたら?僕はいまでもあの日のことを後悔してしまう。彼らは僕の言葉で傷ついていないだろうか。傷つきながらもしかして、僕の言葉に笑ってくれていたのではないだろうか。あの先生には感謝している。今でも、あのような教師はいるのだろうか。子供に対して気付かせるべきことを気付かせることができる人が。」

あぁ、この感受性がN氏を今の立場に押し上げたのだろうな。と僕は突然悟る。オフレコで。と言われたので記事にはしない。こんなに優しい人が、生き馬の目を抜く経営の世界で生きていけるのだろうか。余計なお世話なのだが、そんな心配をしてしまう。

役職や、勤めている会社や、年収や学歴や交友関係など、知らず知らずのうちに自分以外の何かに自分を語らせ、自分を器用にプロデュースしようとするひとがいる。もちろん、それらはビジネスでは必要なもので、効果的に使えば、それは自身の成功に大きく役立つものだ。

けれど、おそらくN氏は常に自問自答してきたのだろう。立場や肩書きや交友関係を利用していないか。友は本当の意味で友だろうか。実力があって立場や肩書きがあるという状況になっているだろうか。
そして、自分のエゴのために傷つくことがないか。


僕はなぜかひどく感動し、N氏に何か言葉をかけようと思ったが、かける言葉が見つからず、その場を辞した。
「貴重なお話をありがとうございます。」
なぜ人は、胸に思いがあふれたとき、それを伝える言葉を持たず、凡庸な言葉になってしまうのか。


「聞いてくれてありがとう。ビールでも飲みに行こうか。」
「是非」

僕はたぶん、一生N氏のことを好きでいる。
N氏は椅子に静かに腰掛け、時折外に目をやりながらゆっくりと話す人だった。