来週の日曜日から、坂の上の雲が始まります。
坂の上の雲は司馬遼太郎の作品の中で、僕が最も好きな作品です。

明治という時代の中で、坂の上に見える雲を目指して人々が力強く歩んでいくような物語を書きたかった。と司馬遼太郎氏は述べていますが、本当に素晴らしい作品だと思います。

ただ、最近の政治や経済、労働環境を見ていて思うのは、「目指すべき雲が今は、見えないのではないだろうか。」ということです。目指すべき雲が確かに見えている間は、貧しくとも、力が足りずとも幸せだった。どのように努力し幸せを掴み取れば良いか、道筋が示されていたから。

今、日本は豊かになった。これは素晴らしいことだと思います。
ただ、以前とは比べものにならないぐらい、娯楽も知識も、情報も増え、衣食住満たされるようになった。

豊かになること、と稼ぐこと、がほぼ同義であった時代から、「稼いでいるけど、イマイチ幸せじゃないぞ。」ということを多くの人が感じるようになってきたのではないかと思うのです。言い方を変えると、自分自身が目指すべき雲を一人一人が考え、見いださなければならない時代になった。とも言えます。

それなりに稼いではいるけれど、

・モノを簡単に手に入れることができるから喜びがない。
・労働を通じて、社会に貢献しているという実感がない。
・働くことが本当に苦痛だ。
・手に入れても手に入れても、妬みやひがみ、嫉妬から逃れられない。
・素敵な彼氏、彼女がいない。
・家族と過ごす時間がない。
・とにかく、自分のために使える時間がすくない。

…などなど。そんな風に感じる人が増えてきたんじゃないかな。と。
発展途上国から、発展を終えた安定期に入った国家が必然的に歩む道とも言えます。


「収入を得ることや、ステータスを得ること」と「幸せ」がほぼ同義で、価値観が比較的一様だった時代が終わりを告げ、多様な価値観のもと、自分なりの幸せを追求する時代が今なのかな。と思うのです。もちろん、これは僕の個人的な見解ですし、自分が満足行くだけの収入を得るための力や教養みたいなものは、人生のどこかの段階でつけておくべきと信じますが。

経済的な豊かさと、個人的な幸せ(豊かさ)がそれなりに同義だった時代から、
経済的な豊かさと、個人的な幸せ(豊かさ)が異なる時代に入ったとも言えます。
一緒に考えようとすると、うまくいかない。


「俺は、殺し合いの螺旋から、降りる…。」

これは、バガボンド(井上雄彦)に出てくる辻風黄平(宍戸梅軒)の台詞です。

いろいろな解釈の仕方があると思うのですが、剣のみに生き、強さを追い求めてきた武蔵達、剣客の生き方は、現代に置き換えていうと、権力なり収入なりを追い求める生き方と似たものがあると思います。力をつけ、上を目指す。しかし、見えていた位置にたどり着いてみると更に上が見えてしまう。

終わりのない、螺旋。

そんな中、小次郎と武蔵に破れた黄平。自分を信頼する小さな家族が出来、家族とともに生きることを決意したことを匂わせる黄平の言葉からは、敗北したにも関わらず、今までとは異なる形の勇気を感じます。


坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
著者:司馬 遼太郎
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バガボンド(1)(モーニングKC)バガボンド(1)(モーニングKC)
著者:井上 雄彦
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